真田ピロシキ

殺人鬼から逃げる夜の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

殺人鬼から逃げる夜(2020年製作の映画)
4.0
聴覚障害者の女性が犯罪現場を目撃してサイコ殺人鬼に付け狙われる話ということで良作『見えない目撃者』味を期待して鑑賞。犯罪に巻き込まれる前の日常パートが障害者に取っての世界をよく表していて、主人公ギョンミ(チン・ギジュ)は勤務先の飲み会で本当は唇を読めているのに聴こえないから大丈夫だろうと、聴こえる人には絶対できないセクハラ発言を繰り返されてる障害者差別にしてホモソーシャル地獄。対するギョンミは笑顔を見せながらも手話でボロクソに罵っていて、これも障害者が表向き従順でいなくてはいけない世間を表しているのではないか。我が国では権利を求めずマジョリティの施しをありがたく受け止めるマイノリティだけ認めようとする方々が少なくないが、韓国も似たようなものなのか。

夜道で同じく耳の聴こえない母親(キル・ヘヨン)と家路に着く途中に殺人鬼(ウィ・ハジュン)に殺されかけてる女性ソジュン(キム・ヘユン)に出会い、すんでのところで助かったギョンミは警察に逃げ込むが、まだ正体がバレていない殺人鬼は一般人のふりをして警察署に同行。署内で隙あらばギョンミ親子を始末しようとする。この展開はちょっと嘘が過ぎる気がする。防犯カメラのどれかに引っかかりそうだし、近くに警官がいるのでリスキー過ぎる。自分の殺人を通報してたような奴なのでキャラクターとしては合っているが、警察がどうしようもないマヌケなのが前提なのはこの手の映画ではお約束と言ってもシラケる人が少なくないだろう。しかしこの警察の役立たずぶりは『見えない目撃者』と一緒で権力は障害者=マイノリティの言い分なんてろくすっぽ耳を傾けなくて届ける声もない状況を描いていると考えれば納得が行く。マイノリティの置かれる世界の比喩としては優れている。1つ理解ができなかったのは殺人鬼の追跡を振り切って車に逃げ込んだのに車内に先回りされてたことで、描写を見た限りではワープでもできないと無理なはずでこれには比喩も見いだせなかった。

ギョンミは聴覚の不足を補うために音の発生を視覚で認識できる警告灯を使っていて、これで運転などもやっていてまず勉強になって、またスリラー演出にも役立つ。それが家の中に殺人鬼が侵入して警告灯を消していく場面で、この光のない部屋はギョンミが普段日常生活の中で感じている非常に心許ない不安な無音の世界が聴こえる我々にも視覚的な形で感じ取れる。ただ音楽が流れていたのは無粋に思った。そこは無音であるべきでしょう。このシークエンスでは施錠したドアと斧の組み合わせを見て予想した通り『シャイニング』のオマージュがあって茶目っ気。こんな物騒な得物まで持っている殺人鬼だが、何度も仕掛けてるのに耳の聴こえない親子すらなかなか殺せなくて、ソジュンの兄貴のジョンタク(パク・フン)には元海兵隊とは言え丸腰なのに刃物持ちながら大体劣勢であまり強くはなく、そこがアクションを重視しすぎてマンガ的なキャラクターになるのを避けている。現実的にギリギリありそうかもしれないと思えるライン。その癖に犯行は大胆なのがまさにサイコ野郎だ。

恐怖の車道を通過して人混みの中に逃げ込んだギョンミであるが、服に血がつき言葉を話せない彼女の訴えに耳を貸す人はおらず警戒されるばかり。聴こえる人が聴けていないというのが何という皮肉。終いには殺人鬼が「彼女は妹だ」という嘘を信じて"善意の"軍人がギョンミを引き渡していて、ここもマジョリティがマイノリティをどう見ているか示唆的。大体本当に妹、乃至は妻とかだったとしても刃物を持ってまで逃げてる女性を一方的に男性に引き渡すのはおかしくて、DVの問題提起も内包されている。解決策も頓知を効かせたようでこの社会は被害に会わない限り決して動こうとはしないと言ってるように見えて最初から最後までマイノリティ視線の社会的メッセージをふんだんに感じさせる映画だった。無駄に人を殺さず人の命を物語のダシにしていないのも好印象で気持ち良く映画を見終えることができる。これもなかなかに良作。