真田ピロシキ

レッド・ロケットの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

レッド・ロケット(2021年製作の映画)
4.3
ショーン・ベイカー監督は今自分がトップクラスに強い信頼を寄せているフィルムメイカーの1人。これまで同様、登場人物が性産業に関わる人で貧しいが珍しく男性主人公。だが物語の主題になってるのはやはり女性の側にあると思う。ポルノ俳優として名声を得るも、トラブルで文無しとなり縁を切っていた妻レクシー(ブリー・エルロッド)とその母リル(ブレンダ・ダイス)が住むテキサスの家に無理矢理潜り込んだマイキー(サイモン・レックス)。若い頃からポルノ業界人でまともな職歴もないマイキーはようやく同級生の母親でマリファナ販売の元締めであるレオンドリア(ジュディ・ヒル)に頼み込んで売人として稼げるようになり、当初はものすごく嫌われていたレクシーとも何だかんだで肉体関係を取り戻せたりと魅力を持った男であることが描かれている。実際顔は40代なのに若々しく、職業柄体も鍛えてて締まっている。こうなると心を奪われたドーナツ屋の女子高生ストロベリー(スザンナ・サン)に年齢差を超えて好意を持たれるのも、彼女が年上好きらしくて田舎から出るチャンスを求めてることを差し引いてもあながちオッサンのファンタジーではない説得力がある。

しかしマイキーは果てしなく不誠実で軽薄。レクシーとリルは渋々ながらも約束通り家賃を払って家事もするようになったのでマイキーを受け入れ始めてたのに、ストロベリーにイカれ始めるとセックスも自分の都合だけでやったりやらなかったりで、薄々勘付いて詰め寄られると逆ギレしてモラハラ。レクシーに対して愛情があるとは見えず肉欲だけ。ストロベリーもそう。素質を持った彼女を自分が業界に返り咲くための駒と思っている。マイキーが武勇伝として語るポルノの賞は本来ならほとんど女性の労力だけなのに男優にもシェアされていると語られていて、ここからポルノに限らず性産業の男性が一方的に得をする女性搾取構造へのアイロニーが見て取れる。レクシーも元々はマイキーと一緒にポルノ業界に入った仲。笑えるのはポルノ界のアカデミー賞と言われるAVNでは、マイキーはノミネートだけで受賞できていないのにレクシーは取っている。正当な評価はつまり。

そんなクズ男には当然制裁が待っていて、レクシー親娘とレオンドリアの娘ジューン(ブリトニー・ロドリゲス)らが全裸で寝ていたマイキーから全てを奪い取る。ポリティカルコレクトネスとして正しく、それに評価を水増しするため取ってつけた感じがしないのが優れた描写。レクシーがマイキーに投げつけた「ポン引きのヒモ野郎」という言葉が先述した女衒的な搾取に突き刺さる。原語は「スーツケースピンプ」で、正しく人気のあるポルノ女優を利用する人間を指した言葉だとか。全裸で逃走するマイキー。これがこの虚栄心に満ちた男の本当の姿だと露わにする。思いっきりモノをブラブラ見せていて愉快で痛快。マイキーにはもうストロベリーしか再起の望みは残っていないのだが、ほうほうの体でたどり着いたマイキーの前に姿を見せたのはビキニで微笑むストロベリー。それを見るマイキーの表情は期待なのか、それとも搾取してきた女に逆襲されたことへの恐れか。そもそもこの姿は現実なのか如何様にも解釈の余地を残しての幕引き。素晴らしい。

マイキーの運勢を急転させたのは弟分のように慕われていた隣人ロニー(イーサン・ダーボーン)が起こした玉突き事故。マイキーとロニーの会話がヤった女の数やフォロワー数で虚しいホモソーシャル剥き出し。ロニーは軍歴を詐称してて、テキサスという保守的な土地柄で男らしさを自己に強いていたことが伺える。事故に関してマイキーの関与を遂に口にしなかったのも強者男性への服従を内面化してる。それに大きく喜ぶマイキーの邪悪さと言ったら。しかも本作の時代設定はトランプ大統領誕生目前の選挙戦中で、マチズモへの異議申し立てが強く打ち出される。マイキーの武勇伝をジューンは「もう聞きたくないやめろ」と嫌悪感を示してたのがつくづく有害な男らしい価値観であることを語っている。

悲哀のある物語であるが、『フロリダプロジェクト』や『タンジェリン』に比べるとやるせなさは少ない。それはマイキーがクズでも愛嬌のある男なのがあるし、ユーモアも多くて『ワイルドスピード』のパロディポルノを「ヒワイルドスビード」と訳されてたり、ストロベリーのバイト先で2人の間に入ってくる店長だったりする。

本作も撮影が優れていて、生活の息吹がある色味で表現されたテキサスの空と工場の空気に浸れる。ベストショットは製油所の煙をバックにした夜のドーナツ屋。このドーナツ屋がメルヘンチックなカラフルさで、無骨な労働者が訪れるミスマッチさがおかしい。セットではなく実在の建物。ストロベリーの家もそうで面白いロケーションが多く、実在感に拘った真摯な映画作りに感激する。普段はエンドロールを見ないで帰ることが多いのだが、本作は色々感じることが多くて鳥の鳴き声が聞こえるだけの黒画面を座って眺めてた。映画が終わっても席を立たせないのは小賢しいオマケ映像があるからじゃないし、ましてや日本の映画ファン様がお決めになった訳の分からないローカルルールでもない。

出演者は今回も演技未経験の人が多い。映画館で発掘されたというスザンナ・サンは劇中で素質を見そめられるのに説得力を持たせるスターの片鱗。今年HBOのドラマでリリー・ローズ・デップやBLACKPINKのメンバーと共演するそうで要チェック。ブリトニー・ロドリゲスは少し菅田将暉に似た気がしてたので、最初の頃はトランス女性かと思ってた。皆良い顔してて、役者じゃない人たちはこれ以外で目にすることはほぼなさそうなのが勿体なく思うくらい。もっとも地元の一般人を使ったからこそのドキュメンタリー的リアリティなので、他の作品では持ち味が発揮できないかもしれない。毎度毎度この当事者性を持ったキャスティングを行えるのもベイカー監督のマジック。次回作にも期待。