カラン

ニトラム/NITRAMのカランのレビュー・感想・評価

ニトラム/NITRAM(2021年製作の映画)
4.5
1996年にタスマニア島で起こった銃乱射事件を巡る。マーティンはMartinであるが、知的障害からか、のろまと呼ばれ、綴りを逆さまににして「ニトラム」Nitramと馬鹿にされたまま、身体は大きくなっていた。。。

☆いくつかの作品

①ガス・ヴァンサントの『エレファント』(2003)はアメリカの高校の生徒たちを描きながら、無軌道さが狂った暴力として発露するのを、明るい陽差しを捉える35mmフィルムで撮っていた。非常に美しかった記憶がある。

②ドゥニ・ヴィルヌーブの『静かなる叫び』(2009)は、モントリオール工科大学の大学生たちを、モノクロームの35mmフィルム撮影で追跡したのであった。途切れて絡み合う狂った思考のようなカメラワークがヴィルヌーブらしかった。

③この『ニトラム』(2021)はデジタル撮影である。まず、ロングショットがいまいちか。例えば、事件現場となる場所を空撮からロングショットをやる。綺麗で、地形の複雑な陰影が出ているが、ヴィルヌーブの『静かなる叫び』のような、その映画の映画空間をパフォーマティブに生み出すショットにならない。その空撮はオーストラリアのタスマニア島なのだろうが、映画空間を力強く定立するエスタブリッシングショットとして機能しない。

このようにロングショットの力が足りない本作は、銃乱射事件の映画なのであるが、射殺の遺体は1つも出てこなかったはずだ。ここが上に挙げた①とも②とも異なるところだ。まるでクリストファー・ノーランの『ダンケルク』(2017)のように、発砲音はするが、流血はない。ただのごまかしに終始することが多いSEによるアクションの置換だが、本作は成功しているのではないか。

SEによる置換といっても、父親を殴りつけたじゃないかって?しかしカウチの上の父親の顔は息を止めていたからなのか真っ赤になっていたが、あざも傷口も1つとしてなかった。振り落とすパウンドは『ブレードランナー2049』(2017)のKばりに、鉄板を殴りつけたような轟音のSEがついていた。あるいは血というならば、裕福なおばさんが車の中で死んだときに流した血だけである。

射殺体についても、流血についても、触れないというのはこの映画を観たことになるとは思えない。あるものの個性について触れないで、良いとか悪いとか騒ぐというのはいかがなものだろうか。

☆SE

繰り返すと、本作はロングショットが効果的でない。銃乱射事件の犯人の映画だが、直接的なゴアもない。本作は暴力の直接的なショットをSEで埋め合わせて、殴る者と殴られる者、射撃する者と射撃される者が1つのフレームに入るのを回避し続ける。そこで、花火が炸裂する音や、風や波の轟音、飛翔する虫の羽音、芝刈り機をアスファルトでがらがら転がす音、父の車のクラクション、聴診器の心拍音、レコード、、、これらはまったく非現実的な音圧でSEとして配備されることで、映画をMartinの心的現実として構成する。

☆心的リアリティーとしてのSEから撮影の撮影へ

マーティンMartinは、ニトラムNitramに、抵抗している。抵抗するには、ブライアントBryant(マーティンの姓)、つまり父の方に行かねばならないのではないだろう。しかしマーティンに与えらるチャンスはヘレン(ジャスティン・カーゼルの妻であるエッシー・デイビスが演じる)、つまり母の代理者なのである。ヘレンは自分の家で銃は禁止だと、マーティンが父からもらったエアライフルを拒否するのであった。

この映画のSEを通して私たちはマーティンの精神世界に入り込み、マーティンの眼差しに同一化して世界を眺める。マーティンが射殺体を見ないのか、目に入らないならば、私たちにも見えない。マーティンは世界をよく見ることができない。こうしたマーティンの精神にテレビの映像が直接に接木されてしまう。クローネンバーグの『ヴィデオドローム』(1982)のように、テレビに映った世界はマーティンの世界になり、ビデオカメラが鑑賞者をシュートする。


Blu-ray。画質は優れている。上記したようにロングショットを除いて、メビウスの輪を断ち切れない精神構造の主体の視線の、ぶよついた心的現実をしっかりスクリーンに定着させている。見事である。5.1chの音質は圧倒的な心的リアリティーを構成する。これまた見事である。
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