Ricola

わたしは最悪。のRicolaのレビュー・感想・評価

わたしは最悪。(2021年製作の映画)
3.6
苦しい。
映画館を出て眩しい光のもとで外気をまとっても、尚まだモヤモヤして苦しい。
この苦しさは、主人公の気持ちが痛いほどわかるとか、そういった共感からもたらされているだけではない。
夢と現実の描写の緩急差に目眩をおこしているのが主な原因だろう。

おとぎ話みたいな、幸福感に浸ったフワフワした感覚が可愛く感情豊かに描かれている一方で、人間関係や仕事などの現実問題が淡々と冷静に描かれる。
そのギャップがあまりに激しいため、感情がジェットコースターのように急上昇と急降下を繰り返していた。


主人公ユリアは、年上の恋人と幸せな毎日をおくっているはずだが、どこか満たされない。自分の本当にやりたいことや、理想が叶えられていないことにもどかしさをおぼえているのだ。
ある日彼女が偶然潜り込んだパーティーで、ひとりの男性と出会う。そこで彼女の世界はまた輝きを取り戻したように思われた…。

ユリアの感情のままに世界のすべてが動いているかのようなシーンが美しい。
ユリアが幸福に満たされているシーン、それは例えば、時が止まった二人だけの世界というファンタジックなシーンがある。
ユリアは自分の気持ちのままに家を出て走り出す。
朝の街は通勤通学の人で忙しないはずだけど、ユリアが走り出した瞬間、皆その場で一時停止する。
恋の高揚感に満たされて、彼女は嬉しくて自分の「今」の感情に正直に従って動いている。自分たちがまるでこの世界を支配しているかのような気がしてくるような、その独特の感情がこの演出によく表されていると感じた。

反対に、苦しい現実に直面しているユリアを纏う空気はひたすら重い。
我々も常に向き合っている現実と同様に、率直にまじまじとカメラは事物を我々に見せつけてくる。
今の自分は満たされているはずなのに、どこか物足りなく感じてしまうユリア。
自分とは何か、夢を模索して追いかけながら、彼女はただ今を必死に生きている。
その過程で人を傷つけたり苦しめたりしてしまう度に、彼女は自分は最悪だと感じるのではないか。

ユリアは幸せを求めて走り続ける。
それは結果として遠回りになってしまうこともあるけれど、そんな自分を受け入れて生きていくことで自分の求める幸せや理想へと近づけるのだと思った。
Ricola

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