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コンパートメントNo.6のSQURのレビュー・感想・評価

コンパートメントNo.6(2021年製作の映画)
4.0
特別なドラマがあるわけではない。かと言って日常がなによりも尊いといったスタンスの映画でもない。
半透明なモヤついた世界をそのままに映したような映画。

愛、というよりは孤独の話。
孤独の先に他者を求めることこそが愛、と言えなくもないかもしれないけど、これはやっぱり愛ではなく孤独を描いている。
孤独というのも、あえて言葉にするなら、で、本当は"人生の中の「あの」体験"なんだけど。

長距離列車で旅をする中で偶然乗り合わせた同室の人となんか親しくなるといった話で、ロシアが舞台で、車窓から雪景色がよく見える。しかし、この雪景色がすごく象徴的だと思うのだけれど、映画としての贅沢な"美"という感じでは全くない。例えば、水平線とか、極地近い雪国ならではの人を寄せ付けないような冷酷な街並みなど、その撮り方がすごく素朴で、しみじみと感じ入るといった趣ではなくて、どこかで見たような、記憶の中にあるかのような味わいなのだ。
どこか遠くの街へ、旅をして、そのときにふとひとりでいることを心細く思う瞬間に見える景色がそのままカメラに収められているといった表現が近いと思う。

『ソナチネ』との類似性と対称性はいやでも連想してしまう。沖縄とロシアは気候は対称的だが、どちらも登場人物たちにとって人生の逸脱点であるという意味では同じだ。そこで彼らは遊ぶわけだけれど、沖縄の温暖な気候が生と死の境目を曖昧にしたのとは対照的に、ロシアの過酷な寒さは人と人との間の境界線をはっきりと際立たせ孤独をソリッドなものにしてしまう。

冒頭でインテリ集団がインテリを競い合う(いやな感じの)アパートメントが出てきて、そこでの会話で、「人と人との関係性は常に一部分でしかない」といった偉人の名言(?)の引用がなされるのだが、そのフレーズが奇しくもこの映画全体と深く繋がっている。

主人公には恋人がいるのだが、どうにも上手くいってなさそうで、そのことを表現する台詞がまた良くって、「彼女の人生の一部になりたかった」といったような表現がされる。この感覚。既に生きているだけで自分の価値が自ずと証明される(ように少なくとも「私」からは見える)人が世間には沢山存在しており、そういった存在に憧れ近づき、そして自分がその人の人生において特別に重要な存在にはなりえないのだと思ったときに感じる失意の底から見える景色がこの映画の中では上述したような孤独な旅先で見える景色に重ねられている。

終わり方も最高で、明確に終わりといった感じではなく、ああここからまた人生は続いていくんだろうなあという感じがする。"孤独な2人が出会って別れ結局ひとりになるけれど出会わなかったときとは違った孤独になる"ことさえもやがては人生の一場面として時間の中に埋没していくような、そういった叙情が表現されていたように思う。
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