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フラッグ・デイ 父を想う日のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

1992年、アメリカ最大級の偽札事件の犯人であるジョン・ボーゲルが、裁判を前にして逃亡した。ジョンは巨額の偽札を高度な技術で製造したが、その顛末を聞いた娘ジェニファーが口にしたのは、父への変わらぬ愛情だった…。

オスカーを2度受賞した名優ショーン・ペンが初めて自身の監督作に出演。
愛する父が実は犯罪者だったと知った娘の葛藤を描く実話ベースの人間ドラマの秀作。
ショーン・ペン自身が得意とするダメな男(父親)役を演じており、主人公である娘ジェニファー役に実娘であるディラン・ペンを起用している。
この父娘共演が、思いの外リアリティを生んでいる。

地に足のついた地道な生活を送ることを「現実的」と考えるならば、男という生き物はいつまでも「夢見る子ども」だ。
しかし、肉体はいつまでも子どもではいられない。
愛する人間と出会った時、親の代わりに自分を応援してくれることを願う。
責任のある立場の「夫」や「父親」になったとしても、夢を追いかけたり、夢を自分の子どもに託す男のどれだけ多いことか。

家族を養うために、ほとんどの男は夢を諦め「現実的」な生活を送る。
それが「大人」になることだと妥協して。
だが、夢を見続けようとする男のほとんどは、「もうダメだ」と自分が自覚するまで諦めない。
そして、そんな「夢見る子ども」は往々にして「現実的」な生活と折り合わずに逃げ続ける…。

俳優ショーン・ペンが好んで演じて来たのは、そんな「夢見る子ども」、または「現実から逃げる男」だ。
何か大きな事をしたい、誰かにとって重要な存在でありたいと夢見るが、確たる目標も手段もなく、かと言って利口ではなく、どちらかと言えば粗暴。
それは「ハリウッドの反逆児」と呼ばれた頃から何一つ変わっていない。

「世渡り下手でナイーヴな負け犬」という役はショーン・ペンの真骨頂であり、これまでの監督作品でもそんな人間を主人公にして、手を変え品を変えて物語を紡いできた。

夢破れる敗者を美しく描くアメリカン・ニューシネマへの憧れが、きっと彼にはあるのだろう。
本作は「夢見る子ども」と過ごした日々を美しい思い出としていた娘が、父親の真の姿が犯罪者と知り、落胆。
父の不名誉が娘の人生に悪影響を及ぼすのだが、血の繋がりを切り捨てるべきかどうか葛藤する。

父親のジョンは、ある時は雄弁に夢を語り、家族に希望を持たせる。
牧場経営事業の失敗で破産し、母と離婚してからも娘は父親との楽しい日々を渇望して、恋人と暮らす父の元へ移る。
父親の好きなショパンの調べが、希望に満ちた明日を想像させるが、ジョンは事態が窮すると再び家族から逃げ出す。

酒に溺れた母と肉体関係を迫る義父に嫌気が差し、髪の色を変えて自分を偽る思春期のジェニファー。
再び父ジョンを探し出し、今度こそ2人で真っ当な生活をと夢見るが、ジーンズの引き伸ばし器なる思いつきの詐欺商売でジョンは逮捕され、刑務所へ。

タイトルの「フラッグ・デイ」とはアメリカ国旗制定記念日のこと。
この日に生まれたジョンは、自分は生まれながらにして祝福されていると感じ、特別な存在として成功すると信じていた。

父ジョンが「夢見る子ども」だと気づいたジェニファーは、父を反面教師として地に足のついた地道な生活を送ろうと決意。
父ジョンとは違い、目標も手段も心得ていた。
まるで自分の人生を客観視するかのように大学へ進み、ジャーナリストの道を進む。
それはジョンと同様夢ばかり見ていた過去の自分との決別に他ならない。
自分と他人の不幸をすり替え、ままならぬ世の不公平を訴えようとしているかのようでもある。

ようやくジェニファーが自立し、責任ある立場となった時、突然現れた父ジョンの姿に驚く。
かつての自信は消え去り、目の前の自分を直視することもできない卑屈な姿。
立派に世に認められる人間になった娘と、いまだ負け犬の父親。
完全に大人と子どもの立場の逆転である。

娘にいいところを見せようと、印刷事業で儲けたとまた嘘を付き、見栄を張って高級車をプレゼントしようとするジョン。
それを拒否したジェニファーが後日TVで見たものは、贋札詐欺で警察に追われ、カーチェイスの果てに拳銃自殺する父の姿だった…。
事情聴取で父ジョンの作った贋札を手にしたジェニファーは「綺麗ね…」と呟く。

本作が描いているのは、何者かになりたい「世渡り下手でナイーヴな負け犬」の父親と、父親を愛しながらも見捨てることのできない娘のドラマ。
犯罪者である父の正体を知ってなお、弱さや矛盾に満ちた父を受け入れ、憐れみに近い愛情を抱いていく娘。

「血は水より濃い」
娘をショーン・ペンの実の娘ディランが演じていることが、その言葉にリアリティを生む。
本作の父娘の関係は、そのままペン父娘の通った家族の関係に見えてくる。
決して上手い演技ではないのだが、ふとした瞬間に見える真っ直ぐな視線は、親子ならではの血の濃さが感じられる生々しい存在感。

恥ずかしくなるほどセンチメンタルな演出は懐かしく、キャット・パワーの音楽も心に沁み入る。
どのカットも懐かしく美しい。
現代に蘇った堂々たるアメリカン・ニューシネマである。
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