Kitty

牛首村のKittyのネタバレレビュー・内容・結末

牛首村(2022年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

村シリーズのなかで1番好きかもしれない。

心霊描写(演出も脚本も)が過去一緻密に感じた。
Jホラーの原点回帰、心霊写真のようなさり気ない心霊描写。
ワンカットで撮影されているシーンが非常に多く、それによって日常風景の延長線上に怪異を紛れ込ませることに成功している。
そして、電子機器の異常も日常的な恐怖表現として素晴らしい。

今回特筆すべきは、鏡と蜃気楼だろう。
双子という題材を扱うにあたって、鏡ほど適した道具はない。どこまで本人が映っていて、どこからが双子が映っているのか、いつ恐怖演出が来るかわからないスリルが常に付き纏う。
また、最初に異界につながるというエレベーターに乗って行方不明になったことから、「詩音が映る=鏡は異界と繋がっている」と分かるので、犠牲者本人は頭に牛の首が被っているように見えると言う演出にも説得力が出ている。

今回、心霊写真的な亡霊の表現として蜃気楼を使ったのはかなり革新的なように思う。
海という彼岸と此岸の交わるロケーション、蜃気楼というボンヤリ霊描写の裏付け、昼間のシーンでしかもボーッと立ってるだけなのにかなり気味が悪い。
犬鳴、樹海ほどアクティブだったり実体がありすぎることがなく、今回は本当の心霊のような不気味さがあった。

エレベーターのドアの隙間から無数の手が出てきたり、バス一杯の双子と席の間から覗く目玉だったり、清水崇監督らしい恐怖描写も楽しかった。



今回、ストーリーテリングも過去2作に比べると巧かった。
双子を題材にしたことで共感覚という、未だハッキリと理由が分かっていない未知の部分を巧く使いこなしてストーリーを展開していた。

そして双子、村と来れば忌子がまず思い浮かぶ。
口減らし、忌子はこの手の話では定番である。
そこに「牛の首」という都市伝説。
実在しない説含め諸説ある中で、今回は飢饉の村の説を映画の題材と絡めてアレンジしたようだ。
前回の樹海村が、コトリバコと樹海村を絡めることが上手くいっていなかったのでどうなることかと思っていたが、今回その部分は非常に巧かった。
また、過去2作に続いて今回も、血とそこから来る逃れられない業が物語に大きく関わるのも清水崇作品らしい。
恐らくオチもそこなのだろう。



清水崇作品にはお馴染みの時間と空間のねじれが過去2作よりもハッキリとある。
牛の首をキーアイテムとして実家から過去の洞窟に飛んで現代のエレベーターに戻ってくる。
恐らく妙子と奇子、奏音と詩音の共感覚とキーアイテムで過去へ、奇子の依代となった詩音に引っ張られて現代に戻ってきたから入口となったエレベーターへ、と個人的には解釈したがどうなんだろう。


終盤、村に入ってから失速するのは過去2作と同じく。
双子の村人、牛の首の子供たち(こどもつかいを思い出した)、依代になった詩音などなど、実体感が強すぎて冷めてしまった。
殴ったら普通に倒せそうな雰囲気がある。


『牛首村』終盤以外は素晴らしい出来だったと思う。
かつてのJホラーのような創意工夫が見えたのが個人的には嬉しかった。
清水崇監督が今後どのようなホラーを創るのか、期待して待ちたい。
Kitty

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