カラン

牛首村のカランのレビュー・感想・評価

牛首村(2022年製作の映画)
4.5

2022年公開の映画が、このレビューの時点で9500件を超えているのだが、私がフォローしている人たちを平均すると2.525。1人だけ高めに☆をつけている人はショットについて書いていた。。。

たしかに、かなり良くない点がある。メイクと美術だ。この種の心霊系ホラーとしては、相当にレベルが低い。だから、ぱっと見が怖くない。ぱっと見はとても重要な要素である。しかし、低評価の人たちはこのぱっと見の問題に触れていない。もう1つ、エレベーターのところも良くない。その後、蠢く電車、嵐で雷が光るホームの繋ぎは良いが。

この映画は、①色調、②空間表現、③ダブルから残像やちらつきを生み出す撮影、とりわけ④音響、がとても良い。

本作は、捨て子幻想に根ざした恐怖を掘り当てようとする。その根源をダブルのイメージで増幅する分身系ホラー。ジョーダン・ピールが『アス』で本当はやりたかったが、できなかったやつだ。


☆死人メイクと美術

奇子は穴倉に捨てられて、丘の中腹の封じれた古びた扉から這い出てくる。貞子イメージの出現の仕方であるが、『リング』の井戸のように水っぽさはなく、地中から甦るゾンビに近い。しかし顔が整備工のように油系の汚れがついている程度で、汚れているが健康体に見える。その他の死人たちのメイクも同様に、禍々しさがなく、むしろ現世的なもので、ハロウィンの夜に駅でたむろしている連中程度である。

双子は人目のつかない暗いところに廃棄されるという村の風習を扱っている。自分も双子の姉妹を捨てられた過去を持つ婆さんが寝ているベッドの後ろの壁には「双」の漢字が額縁に入って飾ってある。この美術はありえない。映画の設定に対する説明そのものの表現だが、双子の婆さんの枕元で「双」と説明する感性は、ちょっとやばい。「美少女」という文字で自慰をする会田誠の素晴らしいパフォーマンスはイデア論を扱っているのだが、『牛首村』でやるのはやめた方がいい。


☆ダブルショット

ダブルの捨て子幻想のショットを作るので、双子の設定になっている。映画空間にゴーストを取り憑かせるために、鏡像や残像の中にゴーストを出現させて、ゴーストから人物に連鎖させたり、ゴーストから別のゴーストにまで至り、複数回出現し、複数体出現する。

モンタージュは、ゴーストの出現の前に、短く実体ショット→鏡像ショット→?のようにカメラを旋回させながら、ゴーストの出現シークエンスを作ることが多い。実像なのか、鏡像なのか、ゴーストなのかいまいち判別がつかないし、ダイナミックなモンタージュなので、ただの残像のようにも見える。さらに双子のゴーストから、別の双子のゴースト→別の双子の実体と、過去の過去を映画の現在に捻り出すのである。回想なしに!

このように動的にゴーストのショット形成することで、ますますゴーストは複数化して、映画空間に偏在し始める。これは揺れる手持ちカメラとかいう問題ではない。ダイナミズムによって、分身ショットを生み出しているのである。

だから、上に書いたようにメイクのレベルの低さが実にもったいないし、ダイナミズムをなくして、分身の運動が静止した場合には、つまり双子が双子としてフレームに同居するショットはなんとも酷いものである。メイクもだが、なぜ双子の役者をキャスティングしなかったのだろう。撮影と編集だけで映画の全編を構成できると思ったのであれば、監督の自惚れである。


☆サラウンドサウンド

まず、富山なのか田舎の空が広く、大きく、湾曲して立体的に表現されており、風が渡る草葉の緑の色調も美しい。大きく作り出した映画空間で、人物が海の彼方を見つめていると、切り返しのついでに、背後でざわつきが高まる。だからどっちが背後か混乱し、その混乱に乗じてサラウンド効果を入れてくる。それで鑑賞者は首を動かせなくなる。映画を観ているのだから振り向くことはあり得ないのだが、背後に異常な気配を覚える。しかも、複数の気配がはっきり分かるくらいに、背後がざわつく。『呪怨』(2002)のBlu-ray版のサラウンドサウンドよりも、芸は細かくなっており、音の実体感も高い。


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