Ricola

春原さんのうたのRicolaのレビュー・感想・評価

春原さんのうた(2021年製作の映画)
3.6
日常が淡々と描かれているようだが、そのなかで人物の細やかな動作によるリズムがしっかり刻まれている。
さらに人を呼び寄せる不思議なリコーダーや、すべてが説明し尽くされていないことによって、この作品の良い意味での奇妙さが保たれていたようだった。

カフェで働く主人公の沙知は、知り合いが住んでいたアパートの1室でひとり暮らしを始める。
彼女に会いに友人や親戚などが、彼女の新居を訪ねてくる。ただそれだけの日常を映し出した作品かと思いきや、作品タイトルの「春原さん」が関係してくることで、作品の印象がだいぶ変わってきた。


数年前からマスクの着用をほとんど義務付けられた現実世界と同様に、作中において登場人物たちもマスクを着用して日常を過している。ただマスクの着脱の動作そのものが、作品の表現に活かされている。
例えば、沙知の先輩は写真を撮る側なのにマスクを外して笑顔を見せる。
マスクを外しても口元を隠すシーンもある。それは、勤務中の沙知が、役者のお客さんの台詞覚えを手伝うシーンである。
お客さんはマスクを外すも台本で口元を隠し、沙知を見つめながら台詞を言う。
マスクは人と人との距離を示すといった心理の現れというだけではなく、「マスクをつける/外す」というアクションが、作品自体のリズムを生み出している。
マスクの着脱の動作は、会話や行為の前後の区切りとなっているのだ。

そして、沙知の新しい住まいに友人や知り合いが訪れるシーンが、やはりこの作品の大半を占める。当たり前だが、彼らは扉を通って外から彼女の部屋に入ってくる。
仕切りである扉は、一般的に映画の演出として狙って用いられる道具である。この作品においてもそれは例外ではないだろう。
扉を巡る演出で特に気になったのが、沙知の部屋で玄関の扉が開けられたままになっていることである。
来客時に扉は開かれ、室内で食事をしたりおしゃべりをしている際にも、扉は開かれたままのことがあるのだ。例えばそれは、おばさんが遊びに来て一緒に昼食をとるシーンである。カメラは人物たちが座っている場所から少し奥のところに置かれている。
そのため全開の扉から入ってくる外の光を、直線上にカメラは受け取るのだ。
またそれだけではなく、扉が開いていることで、次に起こる出来事が視覚的にすぐに明らかになるという特徴もある。
つまりそこにサプライズ感やサスペンス要素を見出さないということだ。それは閉じられた扉では作り得ない、ある種の予定調和を生み出すことになる。

リコーダーも作品の鍵となっていることはたしかだろう。
沙知の部屋に訪れた者は皆、なぜかリコーダーに吸い込まれるように手を伸ばして、メロディを奏で始める。
さらに人を呼び寄せるこのリコーダーは、人の感情を喚起する不思議な力を持っている。単純に音色自体が涙をもたらしたり、何か思い出の曲を演奏することでセンチメンタルになったり、笑いを起こしたりさえするのだ。

水に投げ入れられた小石が水面に波及していくように、何かアクションが起こると人や心を動かしていく。
この映画において、その流れがなめらかに自然に描かれており、スクリーンから目がずっと放せない魅力を感じた。
Ricola

Ricola