しの

アリスとテレスのまぼろし工場のしののレビュー・感想・評価

3.5
言うまでもなく、コロナ禍によって改めて浮き彫りになった日本の閉塞感が設定に反映されており、その意味では今年でいうと『リバー、流れないでよ』『しん次元!』に連なる作品群だろう。そんなどん詰まりを打破するエネルギーとして「恋の衝動」を描くのは鮮烈だが、なかなか歪んだ内容だとも思う。(試写にて鑑賞)

本作がユニークなのは、いわば『すずめの戸締まり』で弔われる「衰退した土地の記憶」側の視点を描いたことだと思う。そこには、バブルが崩壊するかしないかのあの瞬間に永遠に留まっていたいという願望が垣間見える。でもいつかは抜け出さないといけない。だって、それはまぼろしなのだから。その幻想に縋る失われた30年の停滞感と、物理的にどこにも行けないコロナ禍の不自由さと、大人になれない若者の永遠の青春とを重ねていて、これはなかなか切実だと思った。

そしてその停滞を打破するものこそ、「この瞬間に世界が終わってもいい」と思えるほどの生の実感なのだ。つまり未来とは、「懸命に生きた今この瞬間の死」が繰り返されることによってしか到達し得ない(まさに「エネルゲイア」だ)。だから今を生きる若者は恋の成就によって停滞する世界を終わらせ、青春を終わらせる。過去に恋焦がれる者にとって、それは失恋でもあるだろう。

ただし、ここで注意すべきは、ある意味で現実へのエールを若者自身に行わせていることだ。大人たちは今ある世界を眺め、維持することしかできない。しかしそれは必ずしもネガティブなものではなく、それによって結果的に若者が今を終わらせ、変化することを選ぶのだ……という構図を描いている。ここに一定のリアルさはあるかもしれないが、本来、大人側に若者を鼓舞したり、支援したり、あるいは進んで世界を終わらせようとする人が居たっていいはずだ。しかし本作はその役を若者に担わせてしまう。設定上、主人公らを「若者であり大人でもある」というキャラクターにしてしまうことによって。

だから、このテーマであれば「何年も続いた見伏のあの瞬間」から、せめて主人公たちだけでもラストで清々しく消え去るべきだと思うのだが、そうならない。過去への固執が中途半端に残留している感じがする。そうなると、「結局あの町どうなったの?」とモヤモヤする人はいるんじゃないかと思う。これは本作が、ある意味では停滞していた過去へのラブレターでもあるからだ。

その意味で、真骨頂はやはりクライマックスの世界崩壊だろう。あのヒビ割れ描写は2Dアニメでこその説得力だと思うが、盆祭りと重ねることでそこに死者の世界との邂逅というイメージが付与され、さらに祭囃子でなんとも言えない奇妙な祝祭感が生まれる。つまりこれは「停滞期」への祝福であり弔いなのだ、ということが感覚的に理解できる。

そしてこの辺りの裏腹さに本作の歪さと限界が垣間見えるのだ。つまり、マジなロールモデルを示せる大人が居ないから、現状を打破してくれる若者にそれを表象させるのだが、そこで描かれる恋愛には「こんな恋がしてみたい」という大人の欲望が仮託され、結局は永遠の青春(フィクション)を象徴するキャラクターとして、終わっていくはずの見伏で、永遠になっていくようにも見えるという……。

だから、時代設定上の整合性はあるとはいえ、やはり初っ端からブルマ女子への視線を描くとか、すっ転んで男子が女子に覆い被さるラノベ的テンプレ展開をやるとか、描こうとしていることの割に今だにそういうのやるのか……とゲンナリする部分が随所にある。この辺もなんだか歪んでるなぁと思う点。

あと、これはこの監督の前作もそうだったが、時間軸のスケールが大きすぎて世界観やドラマを飲み込み辛いのは難点だと思う。ファーストシーン以降は、既に現状を受け入れている状態だし、「変化しないことを是とする」暮らしの実態やそれに対する葛藤が描かれないので、話として抽象度が高い。

とはいえ、この数十年の日本の停滞感や閉塞感を批評的に総括した作品ではあると思うし、それを打破するエネルギーを、この監督の持ち味である生々しい情動のぶつかり合いと、アニメーションならではの方法で描こうとする試みは評価したい。いい加減、若者の青春に欲望充足を仮託する話はやめていいと思うが。

※感想ラジオ
【ネタバレ感想】こじらせ大人の鎮魂歌?『アリスとテレスのまぼろし工場』に見る日本のカオス
https://youtu.be/6Z_y2J3en_A?si=ba2ubuUo960NG7eG
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