ゼロ

アリスとテレスのまぼろし工場のゼロのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

岡田麿里監督の「さよ朝」が好きなので観に行ってきました。

正直な感想としては『凄い』が5、『気持ち悪い』が3、『謎』が2割という感じです。

まず、ストーリーとして主人公達がいつまでも同じ冬を過ごしているという自覚を持ちながら、別の現実世界の存在に気付かせるファンタジー要素に14歳の少年少女らしい恋愛や感性を混ぜることで壮大な物語へと繋がっている。
ただ、ここで『人の恋愛』という色欲めいた部分の気持ち悪さが出てくる。
また、不変であることを強制されることや神を信じるといった信仰心の気持ち悪さも加わり、そういう意味ではこの作品は人間ならではの『気持ち悪さ』が至る所にある。

※ここから先は3回目を観た時点で頭の中に浮かんだ考察を書きます。

この物語は簡単に分ければ、『保守派』と『変革派』に分かれます。
まず、睦実の父親は保守派で、正宗の父親は変革派。
世界から隔離されてしまい、時が止まった見伏の原因を佐上は製鉄所が山を削り続けてきたことによる神の天罰によるものだとした。
そこに現実世界から迷い込んだ五実(菊入さき)を成長させ、神に与えれば見伏は許されて、再び元の生活に戻れると彼は言う。
しかし、実際には元の生活などではなく、現状を維持し続けたいのが佐上の本心である。
だから、五実を閉じ込めていた。

見伏の空が割れるのは、本来は時間が止まっているこの場所で生まれたわけではない為に成長してしまう五実が睦実だけでなく、正宗という存在に出会ってしまったことから、急速に停滞していた時間が動き出した。
彼女は多くの人に出会い、そして得た知識から5歳児の知能を抜け出そうとしてしまい、『恋』という感情が強く揺さぶられる心の変化によって、見伏は終わりに近づいていく。

正宗の父親である昭宗は最初に五実を現実世界に返す方法を探そうとしていた。
未知である彼女の存在が、この不可解な見伏という世界にどんな影響を及ぼすか分からないからだ。
だが、佐上は曲解して、彼女を閉じ込めてしまい、昭宗は諦めてしまった。
ただ、五実が本来は会えないはずの孫娘であり、どれだけ絵を描き続けても大人にはなれない正宗の絵が上手くなっていく姿を見て、彼は保守派から変革派に変わる。
そして、製鉄所には変化を許さない神機狼がいる為に昭宗は消えてしまった。

この映画では変わりたくない大人と変わりたいと願う子ども達の心情の変化が、至るところに散りばめられていて、それを理解するには1回では難しいと思います。
ただ、変わるのが悪という考え方は歳を重ねるに連れて、自然と新しいことに恐れを感じてしまう人間らしさの1つでもあると考えます。
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