ヨミ

アリスとテレスのまぼろし工場のヨミのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

すごいなとずっと思ってたら終わった。
ちょうど國分功一郎のスピノザを読んでいたところだったので、「変容することでしか達せないことがある」ということが頭のなかをぐるぐるとしていた。
睦実の、「五実」への宣言は、親の無償の愛情と同時に、まだ(「自分確認」をさせられ続けていた)自分の14歳が、性愛を巨大化させたばかりの自意識だった。すごい。擬似親子の情と性愛を同時にやっている。人間もそうでしょう。
五実が目撃してしまう2人の距離がとてもすごく、「わ!その距離で話すやつ!!」となった。本当に言葉もない。
連れていく列車、連れてくる列車。大いなる横移動。カーチェイス。五実が外に出たときの、横にパンしていきながら五実の速度が自在に遅れてカメラが先行するところ。
キャラクターの話だった。絶えず自己を確認しながら、そのやり方を反復し続ける世界に、またキャラクターを期待された子供が落ちてくる(アリス!)。子供は世界を撹乱して、キャラクターはキャラクターなりに成長する。自らの限界を悟り、絶望してしまえば、神機狼に連れ去られてしまう。役割を自覚したとて、それをまっとうするものだけがいられることを許されるメタフィクションの世界。迷い込んだ少女もキャラクターだ。しかしそれは明らかに「セカイ系」的エンディングを嘲笑うような一点と、擬似家族的(家系映画!)キャラを裏切ることで絶えず期待に背く。あくまでキャラクターだが、しかしシムズではない。
正宗が意味を見出そうとしても、止まる世界ではいけない。でも我々の世界は止まることを知らない世界で、止まる世界のキャラクターたちでさえ変容を掴もうとしているのだなと思う。
ヨミ

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