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異動辞令は音楽隊!のkuuのレビュー・感想・評価

異動辞令は音楽隊!(2022年製作の映画)
3.6
『異動辞令は音楽隊!』
映倫区分 G
製作年 2022年。上映時間 119分。
内田英治監督が阿部寛を主演に迎えたヒューマンドラマ。
警察音楽隊のフラッシュモブ演奏に着想を得た内田監督が、最前線の刑事から警察音楽隊に異動させられた男の奮闘をオリジナル脚本で描き出す。

部下に厳しく、犯人逮捕のためなら手段を問わない捜査一課のベテラン刑事・成瀬司。
高齢者を狙ったアポ電強盗事件を捜査する中で、令状も取らず強引な捜査を繰り返した結果、広報課内の音楽隊への異動を言い渡されてしまう。
不本意ながらも音楽隊を訪れる成瀬だったが、そこにいたのは覇気のない隊員ばかりで。。。

音楽隊のトランペット奏者・来島春子を清野菜名、サックス奏者・北村裕司を高杉真宙、捜査一課の若手刑事・坂本祥太を磯村勇斗が演じる。

今作品は、ハードボイルド刑事(デカ)のイメージを自負する成瀬司の変身物語。
彼は過去に囚われた一匹狼で、現代の警察業務の特徴である上下関係やチームワークにほとんど敬意を払っていない。
会議は時間の無駄であり、有益な情報はほとんど得られないと考えるだけでなく、本部の冷房の効いた部屋から捜査の流れに口出しする警察のお偉方を嫌っている。
今作品のオープニングは、観てる側に会議てのはどないな機能を持っとるもんなんかちゅう問いを投げかけている。
もちろん、どの会議も最低限の調整的な要素、つまり、全員に現状を知らせ、場合によってはその後の行動を決定することが特徴やけど、調和のとれたチームというフィクションを煽る上でも重要な役割を果たしてる。
その意味で、成瀬は会議中に目立って新聞を読むことで、単に会議や上司を軽蔑しているのではなく、自分がチームという虚構の中に身を置き、部隊の他の人々と協力することを拒否していることを強調していると云える。
成瀬の主張は強ち間違ってはいない。
マブの刑事は会議の場ではなく、現場にいる。
事件解決の鍵は、事件が起きた現場にある。
しかし、成瀬の過去への幻想は、単に現在の警察のあり方に不満を抱かせるだけでなく、自らの捜査のためにルールを曲げ、暴力で突破口を開こうとさせる。
成瀬の暴力の目的は、相手に法の重さを突きつけ、それを利用して自分の知っていることを自白させることにあると考えられる。
しかし、今作品が示すように、このような暴力が通用するのは、相手が警視正の捜査ルールを知らない場合のみです。
成瀬の行為と記号は、ハードボイルド刑事というファンタジーを体現することによって決定される(これは明らかだろう)。
この幻想こそ、彼の過去の名残であり、どんな手段を使ってでも犯人を捕まえたいという欲求を煽り、自分を取り囲む適合的なスーツを軽蔑する根底にある。
そのため、成瀬は同僚を口汚くののしり、月給のためだけに働き、犯罪者逮捕のために手を動かすのではなく、優雅な報告書を書くことに耽溺する同僚を問題視している。
音楽隊への転属は、成瀬にとって想像上の傷にほかならない。
探偵という象徴的な肩書きを奪うことで、ハードボイルド・ファンタジーにヒビを入れ、そのファンタジーと同一視する自我を傷つける行為と云える。
しかし、彼の異動はチャンスでもある。
これまでチームという虚構の中に自分を置くことを拒んできた成瀬が、突然、音楽の拍子とリズムに従うことを強いられる。
リズムを刻む自分が、他のメンバーと協調して一つの音楽を作り上げることができることを証明しなければならない。
このように他者と協力することを求められると、さまざまな相互作用と相まって、警察官であることの喜びは、積極的に協力すること、関係性の調和という必要な虚構に自らを刻み込むことにあるのだと、彼に教えてくれるかもしれない。
さらに、この経験は、自分の行為や記号を規定するハードボイルドなファンタジーを修正するように彼を説得するかもしれない。
そうすれば、差異を持つ他者と出会い、自分は本当の自分を他者に提示し、つながりを誘う記号を提供し、歓迎される行為を行うことができる。
成瀬が突然、本格的にドラムを叩きたいと云い出したのは、娘・典子(三上愛)との対立関係を修復するためかもしれない。
転勤前、どんな手を使ってでも犯人を捕まえるという一心で、父親として失格だった。 
ハードボイルドな刑事のイメージに染まっていたため、父親らしい服装をする余裕がなかった。
父親として振る舞おうとすることは、常に彼の失敗を告げる記号の行為を元に戻そうとする試みかな。
内田監督は、微妙に平和なダイナミズムに富んだ構図を実現している。
しかし、今作品の視覚的な楽しさは、単に内田の流麗なダイナミズムによるものではなく、被写界深度の効果的な利用や、自然ではあるがやや暗めの色調と光のデザインによるものである。
しかし、この色彩設計は、内田監督の語りの雰囲気に微妙なドラマ性を与えるだけでなく、成瀬の存在感を示すハードボイルド・ファンタジーを視覚的に感じさせるものでした。
しかし、この色彩設計は、阿部寛の見事な演技によって、成瀬のエゴを喚起することに成功したにすぎない。
阿部寛の演技は、彼にとってのハードボイルド・ファンタジーの重要性を観客に感じさせるだけでなく、そのファンタジーが単なる虚像であり、周囲から距離を置くための過去への執着に過ぎないことを教えてくれた。
また、阿部の表情は、ハードボイルド・ファンタジーを体現する真剣さを強調するものであり、今作品の中でコミカルな次元を機能させるために必要なコントラストを作り出すのに重要である。
つまり、成瀬の行為や記号によって導入され、映像に反響するハードボイルドな妄想と、バンドマンとしての彼の現状を対比させることで、ふとした瞬間の軽妙さが観客を微笑ませる力を持ち、成瀬のハードボイルドな交流に見られる微妙なコミカルさが浮き彫りになっている。
今作品は、音楽映画というジャンルに新しいものを提供するわけではないけど、それでも内田監督は、今年のフィール・グッド・ムービー作品を提供してくれました。
内田監督のドラマとコメディを織り交ぜた語り口もさることながら、成瀬司を演じた阿部寛の完璧な演技が、感動的な場面には心地よい純粋さを、軽妙な場面には明るさを与えて楽しませてくれました。
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