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戦場のピアニストのYYamadaのレビュー・感想・評価

戦場のピアニスト(2002年製作の映画)
3.8
【戦争映画のススメ】
戦場のピアニスト (2002)
◆本作で描かれる戦地
 1939-1945年 第二次世界大戦 /
ナチスドイツのポーランド侵攻
・1943年ワルシャワ・ゲットー蜂起
 ・1944年ワルシャワ蜂起
◆本作のポジショニング
 人間ドラマ ■□□□□ アクション

〈本作の粗筋〉 eiga.comより抜粋
・1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻。ワルシャワの放送局で演奏していたピアニストのシュピルマンは、ユダヤ人としてゲットーに移住させられられる。
・やがて何十万ものユダヤ人が強制収容所送りとなる中、奇跡的に難を逃れたシュピルマンは、必死に身を隠して生き延びることだけを考えていた。しかしある夜、ついにひとりのドイツ人将校に見つかってしまう…。

〈見処〉
①音楽だけが 生きる糧だった——
・『戦場のピアニスト』(原題: The Pianist)は、フランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作にて2002年に製作された戦争ドラマ。
・本作は、ナチスドイツ侵攻下のポーランドで生きた実在のユダヤ人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンにより、1946年に刊行された自伝『ある都市の死』を原作とする。同自伝は、シュピルマンを救ったのが旧敵国のドイツ人では好ましくないためオーストリア人としたが、1998年にシュピルマンの息子アンジェイ・シュピルマンにより復刊されるまで、長くポーランド共産主義政権により絶版処分とされていたもの。
・本作は、第55回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを獲得。第75回アカデミー賞でも作品賞ほか7部門にノミネートされ、
監督賞、脚色賞、エイドリアン・ブロディの主演男優賞など計3部門で受賞を果たした名作である。

②ロマン・ポランスキー
・本作の監督を務めた、ポーランド出身のロマン・ポランスキーは、幼少期をナチスドイツがポーランドのクラクフに作ったユダヤ人ゲットーにて生活をした経験を持つ。
・ポランスキー自身は、ゲットーのユダヤ人が一斉連行される直前に、父親が有刺鉄線を切断し逃亡出来たが、両親は連行され、うち母親はアウシュビッツにてドイツ人に虐殺されている。「ユダヤ人狩り」から転々と逃亡した体験が、のちのポランスキー作品に影響を与え、ポランスキー自身も墓まで持っていきたい作品として本作『戦場のピアニスト』を挙げている。
・第二次大戦終結後にポーランドへ戻り、父親と再会したポランスキーは、俳優として活動を開始後、自由な表現活動を求めてフランスに移り、1962年に『水の中のナイフ』で監督デビュー。共産党独裁政権下の当時のポーランドでは黙殺されたが、アメリカで絶賛され、ポーランド人作品初のアカデミー外国語映画賞ノミネートを果たした。
・更なる評価を高めるため、アメリカに移住したポランスキーは『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)の大ヒットにより、ハリウッドの寵児となるが、翌年1969年には、(『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』/ 2019)でも描かれたとおり、妻である女優シャロン・テートがカルト教団に惨殺され、アメリカに絶望。
・さらに、1977年にはジャック・ニコルソン邸で、当時13歳の子役モデルに性的行為した嫌疑をかけられ逮捕。司法取引により法定強姦の有罪の判決を受け、米国から脱出することになる。
・以降はフランスにて市民権を取得。「アメリカに入国出来ないハリウッド監督」として『フランティック』『ナインスゲート』など、複数の意欲作を監督。
・本作では、アカデミー監督賞を受賞したが、訪米は上記の問題により逮捕・収監の可能性があるためアカデミー賞授賞式には参加しなかった。

③結び…本作の見処は?
MeToo運動後、さらに複数の性的虐待疑惑が持ち上がる「スキャンダルの巨匠」ロマン・ポランスキー。彼の歪な純白性が発揮された代表作品。
◎:「情勢は劣化を辿る」 …ユダヤ系ポーランド人が、ナチスドイツによる人種絶滅政策(ホロコースト)により、困窮を極めていく様を時系列で生々しく描く。アカデミー主演男優賞に輝くエイドリアン・ブロディによる、廃人寸前まで追い詰められた芸術家の生涯を直視したい。
◎: ブロディが演じる「戦場のピアニスト」シュピルマンによるビアノ独演を聴くドイツ人将校ホーゼンフェルト。彼の表情は何を語るのか、鑑賞者の判断に委ねるポランスキーの演出が冴える。
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