Foufou

くじらびとのFoufouのレビュー・感想・評価

くじらびと(2021年製作の映画)
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メルヴィルの『白鯨』によれば、コケイジャンらは鯨から鯨油を取ると残りは捨てていたと。彼らからすると鯨は工業原料に過ぎず、石炭石油が主流になるとおのずと捕鯨の需要は下火になる。ちなみにペリーは元々捕鯨基地を求めて日本に行き着いた提督だった。油のためだけに鯨が乱獲された時代があったわけです。

『白鯨』が偉大なのは、エイハブ船長の、功利主義とは隔絶した動機=狂気が描かれているところ。また一等航海士のスターバックスですね、思慮深い感動的な人物が出てくるのですが、これの名を採ったのがかの「スターバックス・コーヒー」。ロゴマークが人魚であるのは故なきことではないわけです。

本作はインドネシアの海浜の貧村における伝統捕鯨を追う。冒頭から感涙したのは、私が捕鯨に対してひと方ならぬ執着があるからなのか。いや、そうとも限らないと最後まで釘付けでした。

釘を一切使わない伝統的な木船に十人から乗り込んで隊を組む。舳先が伸びて、そこに銛打ちが控えて海原を見はるかす。村の花形です。銛打ちに憧れる子どもたちが磯でその真似事をする。パッと飛び上がると、全身が弓形に反って、銛と一心同体となって海中に没する。画竜点睛と言いますか、これが実に絵になるわけです。

鯨のほかにもジンベイザメやマンタを獲って生計を立てる。マンタの漁で死者が出る。悲嘆に暮れる日々、誰も漁に出ない。死体はついに上がらず、彼らは沖へ船を繰り出す。犠牲者の老父がオウム貝の殻を海中にそっと投ずると、後進の船がそれを拾い上げ、彼の遺体と見なす。オウム貝を収めた棺に人々は取りついて、いつ果てるともなく嗚咽し弔う。

イスラム教徒が大半のインドネシアにあって貧村の人々は皆カトリックなんですね。土着信仰と結びついた背景があり、司祭が先導して夜に村人たちが灯籠を流す。やがて喪が明ける。死者が事故の前日に夫婦喧嘩をしたことが知れ渡る。漁は神聖なものであり、漁期における諍いはタブー。船上にあっては汚い言葉を吐くことすらタブー。死者を出した船は解体され、祖先の残した船の部材と新材とを合わせて新たなるマザーシップを拵える。そして今、新たなる船出を迎える。浸水式では帆船として出港する。元来女人禁制の船が、その時だけ女たちばかりを乗せて海に出る。寡婦の姿も見える。それぞれの想いを乗せて船は海原へ乗り出していく。

クライマックスとなるマッコウクジラ狩りはもう言葉もありません。ドローンを駆使しての大迫力の絵が展開する。崇高としか言いようのない光景。ようやく得た一頭の鯨を村人総出で浜に上げ、解体していく。古よりどこの部分は誰にと細かく決められている。漁とは無縁の者ら、貧しい者らへも鯨は分け与えられる。最後に残るのは骨格のみ、余すところなく彼らはこの時ならぬ恵みを享受するのです。捕鯨については賛否あるようですが、こんな敬虔な気持ちにさせられることも滅多にあるものではありません。

画面に横溢するのは鯨に対する圧倒的なリスペクト。私にとっては、近年稀に見る映像体験となりました。何をどう書いてもネタバレなどしようのない映画。人の営みというものにですね、ただただひたすら敬服させられる、そんな映画です。
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