じゅ

The Son/息子のじゅのネタバレレビュー・内容・結末

The Son/息子(2022年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

うわぁ...。なんか、モロにくらった。
そんな、えぇ...。


父ピーターと母ケイトと息子ニコラスがいて、ピーターは新しい恋人のベスとできてしまって妻子を置いて家を出て、ベスとの間に2人目の息子のセオが産まれる。複雑だけど、まあ今となってはべつに悪い関係じゃない。
ニコラスがぱったり高校に行かなくなった。重圧とかいろいろあって、急性のうつ病だそう。母と2人で住んでいた家を出て、ピーターの方の家に移り住んだ。高校を転入したけど、やはり初日だけ登校してまた行かなくなった。ピーターたちには嘘を吐き通した。
ピーターは弁護士か何か知らんけど仕事では成功していて、上院議員の予備選のキャンペーンに呼ばれるほどだった。彼が努力して成功を勝ち取った裏にはまた、成功者である父(ニコラスの祖父)の影響があった。ピーターは自らの父にされたような接し方を息子のニコラスに無意識にしていた。重圧に耐えられなくなったニコラスはついに自殺を図り、精神病棟に入院させられそうになる。
ピーターとケイトは、精神病棟から帰りたいと必死に涙ながらに訴えるニコラスを連れ帰った。平静さを取り戻したニコラス。久々の家族3人の団欒を喜んでいたが、シャワーを浴びてくると言って席を外したニコラスは、シャワールームでピーターの銃を使って自殺した。
数年経った後もピーターは充実した生活を送るニコラスの幻を見る。恋人と一緒になることを決めて、大学へ行く傍ら、昔から好きだった物書きの才能を開花させて書いた本が出版されることになり喜ぶ息子の幻。それでも人生は続く。


誰も悪くないとは思うんだよな。与えた愛と求められた愛が噛み合わなかったけど、愛があったのは確かだったはずで。
ピーターは嫌でも父親の背中を見て育って、たぶん父親と同じような道で成功してきて、それをまた息子のニコラスに再現させようとした。おそらく、それしか成功とか幸せってものを知らなかったから。何にせよ、成功とか幸せってものを掴んでほしかったのは違いない。だけど、誰しも同じパスで成功とか幸せを掴めるわけではないし、ニコラスには大学がどうとか法の勉強がどうとかなんてただ重圧でしかなかった。
ニコラスがとうとう死のうとした辺りで、たぶんピーターは自分がちゃんと息子に向き合えてなかったと思い直したのかな。精神科医の警告を振り切ってニコラスを退院させたのは、ピーターが独りよがりでなく息子と向き合って与えたタイプのはじめての愛情だったんだと思う。つまり、ニコラスが自分の心の奥底から求めたことにピーターが応えた。でも、それがまさかあんなことになるなんて。


過剰な合理性のしんどさはなんとなく知ってる。俺が合理的なタイプじゃないから。徹底的に合理的なタイプが俺の上長だったことがあったから。
人間のあらゆる行動には理由があると思ってて、全ては理解と修正が可能とでも思って「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」と。決して悪いことじゃなくて、むしろ一緒に仕事するなら重宝される。でも、これが家族っていう関係となるときついよなあ。部下と上長っていうべつに俺の人生の何もかもに干渉してくるわけでもない関係でも、1つ何か言ったら5つ問い詰めてくるみたいな姿勢が俺にはしんどくなって一時メールが使えなくなったことがある。離れて1年くらいで治ったけど。

これが父と子(未成年)の関係となればもうどこにも逃げ場がないし、簡単に関係を切って離れられるもんでもない。というか、関係を切るなんて考えにも至りようがないだろうな。結局ニコラスは父親に敬意を抱いていたし、大好きだった。


なんとなく『17歳のウィーン』のこと思い出してた。ニコラスも17歳だったから。17歳ってなんか特別な歳なんだろうか。俺はモンスターハンターとルービックキューブばっかりやってたけど。

ニコラスは、もはや複雑になりすぎた負の気持ちのキメラに苦しめられていたな。嫌気とか罪悪感とか不安とかとか、混ぜこぜになりすぎて訳分からんようになってしまったのかな。「どうした」「なぜ学校に行かないんだ」とか必死こいて問い詰められたところで、そんなん俺が知りてえよみたいなかんじだったのかな。
教員にも親にもゴリゴリの嘘ついて学校に行かないのは間違いだなんて、本人が一番解ってるに決まってんだよな。17歳だぞ。父親からかけられた期待の重さが辛くて逃げて、逃げたこと自体も辛くて、自分が間違っていると痛いほど解っていることについて説明しろと父に問い詰められて、おまけに父の新しい妻には陰で頭がおかしいと言われるときた。本人も嘆いたとおり、居場所がないよ。
せめて親として対話して助けようとするその手を止めて、ただ存在するだけのためっていう意味での居場所を少しくらい与えていたら、多少何か変わっていたりしただろうか。まあ不登校とかベッドの下からナイフとかってのをそう簡単に放っておけるかって話ではあるけども。


ピーターもピーターでしんどそうだった。息子のことを純粋に心配して接するのに、その接し方が嫌いだった親父と一緒になってしまう。「どうやって生きていくんだ」「おまえの歳の頃はこうしていた」「お手上げだ」どれもピーターが父親に言われてきたことなのだと。今にも死にそうな母の見舞いにも来ないで各地を飛び回っていたクソ親父の。
そんでそういえば、最愛の息子が自殺に使ったのがその親父から渡された猟銃だったな。そんなことあるかよ。

幻で現れる息子の著書の題名が「Death can wait」ですか。まあつまり、ピーターのもう永遠に叶わぬ願いだよな。そりゃあ待っていてほしかったよな。
才能があって繊細でどうのこうのとか、後になっていろんな念が込み上げてくる。自分が引いた成功へのパスを(無意識といえど)強制することがなかったら、死は待っててくれただろうか。息子が抱える問題がまだ言葉にできる程度に単純だったであろう頃に彼の言葉を聞いていたら、死は待っててくれただろうか。

一観客の俺の目にはピーターは悪い父親には映らなかった。むしろ善い父親に見えた。与えるべきだと思ったものを与えて、聞くべきだと思った声を聞こうとして、めちゃめちゃ頑張ってたと思う。ちなみに、そう思うと与えず聞かずだったピーターの親父は"悪い父親"にあたるだろうか。
なんせ、だからこそ難しい。ニコラスは善い父親に潰されて、逆にピーターは悪い父親に導かれた。じゃあ、我が子がどうなったかを父親としての評価基準にするなら、ピーターは悪い父親でピーターの親父は善い父親ということになる。そんなの最終的には自分じゃ制御しきれないことじゃないか。父親ってのはしんどい立場だなと感じる。


ケイトもまたしんどそうだった。愛していた夫が不倫相手と一緒になるために出て行って、ついには最愛の息子まで出て行くとか何だよそれ。しかも出て行ったきり死んだぞ。そんなことあってたまるか。
母親として失敗したみたいなこと言ってたけど、そのまま独りになってしまったな。。


ちなみに、我が子が問題を乗り越えるためにどうするかっていうところにいわゆる母性と父性の違いみたいな考え方が出てたのかな。ピーターの親父はピーターに「乗り越えろ」って言ってた。ケイトはニコラスに「私が乗り越えさせる」と言った。良く言えば、一方は叱咤激励するかんじで、他方は手を差し伸べるかんじ。
どっちが正しいってことでもなくて、どっちも半々ずつ必要なんだろうな。ピーターにもニコラスにもどっちか欠けてたな。せめてセオくんには両方揃えてやってほしい。ピーター、べつにアダマンチウムの鉤爪も骨格もないけど、あんたきっと強いはずだよ。
じゅ

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