mako

ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん。のmakoのレビュー・感想・評価

4.5
《姉が北朝鮮にいるとは、誰にも言えなかった》
◎90点

福山駅前シネマモードで、7/22~25に「ジェンダー映画祭」があり、その時に鑑賞。
『 娘よ』の次に鑑賞。この日2本目。

ドキュメンタリーです。
熊本県で訪問介護の仕事をしている林恵子、67歳。子どもたちはすでに独立。一見平穏な日々を暮らしているかに見える彼女には誰にも言えない秘密があった。
それは、「帰国事業」により、在日朝鮮人の夫と共に北朝鮮に渡った姉・愛子の事。
恵子より20歳上の姉は、北朝鮮に渡航後、手紙を出していたがその内容に恵子はやがて落胆し、反発。そして断絶する。
音信不通になり58年の歳月が流れていたそんなある日、姉の消息が知らされる。人生の残り時間が少なくなる中、姉への思いが頭をもたげ始めてきた。「拉致されたらどうするんだ」と反対する子どもたちを押し切り訪朝を決行。初めての海外旅行は北朝鮮になった。

58年振りの姉妹の再会に胸が熱くなった。
姉の家で会いたいという願いは叶えられず、保養施設での再会となった。家を見られるのは都合が悪いんでしょうね。
通訳として常に姉妹と一緒にいる北朝鮮の人。監視も兼ねているようで、愛子さんやその家族は自由に発言できないみたいでした。
恵子さんは次男と一緒に訪朝し、愛子さんの娘や孫たちとも会っていた。印象的だったのは、恵子さんが童謡「あめふり」を歌い、北朝鮮の歌も聴きたいと言ったら、孫たちが歌ったのは国や将軍様の歌を歌っていて、なんだかな~と思った。ここにも通訳と称して監視者がいたからだろう。

愛子からの手紙には物やお金の援助が必ず書かれていて、それが原因で断絶になったようです。
でもそれは国の命令のようなものではないかと思った。
愛子さんだけじゃなく、同じく帰国事業で渡った日本人妻たちは日本の家族に手紙で援助を書いていたようです。
後に帰国した恵子さんと次男さんは、愛子さんと親しくしている日本人妻たちの家族を探し訪ねていたが、同じことを話していたから。
愛子さんの手紙の最後には必ず、“はしたない姉より”や“ばかな姉より”と書かれていてなんだか悲しくなった。

帰国事業とは、1959年~1984年にかけて行われた在日朝鮮人とその家族による北朝鮮への集団的な移住。日朝両政府のそれぞれの思惑から始められ、当時の日本中のメディアも北朝鮮を「地上の楽園」と持ち上げ、後押しした。
9万3千人以上が参加したが、そのほとんどが実際は、朝鮮半島南部、現在の韓国の出身者だった。国民的な熱狂の中、送り出された「帰国者」の中には日本人の妻、約1,800人が含まれていた(子どもを含めると日本国籍保持者は約6,600人)。「3年経てば里帰りできる」。当時流布されていたその言葉を信じ、未知の国に渡った日本人女性たち。しかしその後、日朝政府間の対立が続き、彼女たちの消息はほとんどわかっていない。

北朝鮮に渡ったばかりに日本へ帰ることも許されず、日本の家族と断絶させられた日本人妻たちの現状を知ることができました。
北朝鮮の国は酷いけど、それを煽った日本やマスコミも酷いと思った。
帰国事業が80年代まで続いていたのも驚きでした。
本作を観れてよかったです。
こういう歴史も知らないといけないなと思いました。
いろいろあって長い年月がかかったけど、恵子さんと愛子さんが再会できてよかったと心から思いました。
次男さんはTwitterをされていて、アカウントは、日本朝鮮にじの会。映画を鑑賞した際、ツイートしたらコメントを下さったのでフォローしました。

本作をセレクトし、解説されたのは武田砂鉄さんでした。

※追記
印象的だった言葉を書き忘れてました💦
北朝鮮というのは国の名前ではない。韓国(大韓民国)は国名で呼ばれるのに、北朝鮮は国名で呼ばれない。ここ、目からウロコでした😲

朝鮮民主主義人民共和国が正式名称だが、日本は国家として認めていないため北朝鮮と表記しているそうです。




観客 7人
劇場鑑賞 #83
2022 #94
mako

mako