紅蓮亭血飛沫

バトル・ロワイアル 特別篇の紅蓮亭血飛沫のネタバレレビュー・内容・結末

2.8

このレビューはネタバレを含みます

理不尽デスゲームの金字塔、と言っても過言ではない本作。
その衝撃な内容故に当時の世論は大騒ぎ…だったのかどうかは私は知る由もないのですが、内容が内容なので現代でも大々的に超大作映画として大々的に宣伝したら、さぞ話題の種となりそうですね。
公開当時2000年に比べ、今となっては誰でもネット等で意見を述べられる時代ですから、もしかすると2000年以上に反響があるかもしれません。

中学生の子ども達が殺し合う、という正気を疑う衝撃のストーリーが展開される本作。
そもそも、何故こんな惨いゲームを国家ぐるみで行っているのか、その背景を紐解いていく事で本作への理解が、メッセージ性が見えてきます。

経済的危機により完全失業率15%、失業者が1000万人突破。
学級崩壊、家庭崩壊が各地で勃発。
少年犯罪は増える一方であり、不登校児童・生徒は80万人。
校内暴力による教師の殉職者は1200人を突破。

これはキツい。
未来を憂う大人達の心境を思うと同情もしたくなるってもんです。
子どもを恐れた大人達はその現状を改善する為にサバイバルデスゲーム、BR法を可決。
生き残った生徒を優秀な人材として確保する、また子ども達を武力と権力を行使して支配下に置かせる…といったところでしょうか。

では、本題はここからです。
BR法が可決されたのは暴走の一途を辿る子ども達を制御出来なくなったから、であるわけですが、ではその大人達は"子どもとどう向き合っている”のでしょうか?
家庭崩壊が止まらないこの社会においては、主人公・七原の家庭環境もこの風潮に漏れず、散々なものでありました。
まだ中学生であるにも関わらず父親が自殺。
親族からも自分を腫物のように扱っている事から、自然と七原は"大人を信じられない子”として育つ環境にいたのです。
劇中で七原は「生きて帰ったらどうする?」と聞かれても「わからない。大人は信用出来ない」と未来への希望を捨てているような、諦めの境地にいました。

次に、本作のラストでヒロイン中川が教師・キタノと会話するシーン。
キタノもまた、家庭環境が芳しくない被害者の一人で、実の娘から嫌悪されているレベルで拒絶されていました。
自分が受け持っていたクラスも、クラスメイトがほぼ全員授業をボイコットしたり酷い時にはすれ違い様にナイフで刺されたり、ともう散々な目に遭っていたのです。
しかし、中川だけは他の群衆と違い、キタノの授業にちゃんと出席する真面目で優しい性格であるが故に、クラスメイトからいじめを受けているという背景がありました。
その為、中川とキタノは互いにどこか惹かれ合っているかのような回想が挟まれています。
そこで、キタノは最後に中川へとこう問いかけるのです。

「こんな時、大人は子どもになんて言ったらいい?」

この一文には、バトル・ロワイアルの大部分を担っていると言ってもいいぐらいの意義が詰まっているように思います。
極端な話、BR法が可決されこんな残酷なゲームが行われたのは"子どもへの教育、責任を放棄した大人達の横暴”に尽きるのです。
経済危機による不況の時代に、大人達は焦燥し切ってしまった。
売春として娘を差し出す母親。
息子へとエールを送る一方で、情緒不安定な時があり挙句の果てに自殺した父親。
そんな大人を、社会を見て、子ども達は未来に希望を持てなくなったのではないでしょうか。
そしてその矛先は、子どもから大人への対抗心へと繋がってしまった。

大人が大人としての責務を果たせなくなった近未来、本作はそんな環境が基盤にあるのです。
大人が子どもを教育出来ない、指導出来ない。
子どもから見た大人は、頼りにならなくて信用出来ない。
そんな価値観が子どもの頃から定着するという事は即ち、こういう時代になり得るかもしれない危険を孕んでいるんだぞ、というメッセージを本作から感じましたね。
現に劇中の大人達は揃いも揃って不安定ですし、この経済状況を考慮するととても社会に、大人に期待出来ない。
その大人達が何くそと奮起するような兆しもなく、その果てにBR法なんていう人類史に残る究極の汚点を採用してしまうとなれば、もう絶望しかありません。

大人に全責任がある、と言うわけでも勿論なく、キタノが述べたように大人は大人で"子どもへの接し方が分からない”という悩みを抱えているのも肝です。
生徒に指導として暴力を振るってはならない、必要以上にあれこれ言ってはならない…と子どもの尊厳を守る為のコンプライアンスが、却って子どもの暴走を助長している可能性を提示しているのです。
ガチガチに縛られた規則によって、事の発端・根底が悪化していく一方という皮肉。
確かに子どもへの暴力は教育としても許されないとは思いますが、この"指導”という観点が個々によって簡単に境界線が左右される、非常に曖昧な価値観の上に存在しているようなものですから、いくらでも外野があれこれ口出し出来てしまうんですよね。
どこまでが指導で、どこまでが暴力なのか。
どこまで介入していいのか、どこからが当人にとって侮辱と感じる程の苦痛であるのか。
大人も大人で、子どもの相手をするのも大変なんです。
肝心の子どもは、大人がどんな苦労をしているかなんて知る由もないですからね。

「人を嫌いになるってのは、それなりの覚悟しろって事だからな」


本作は特別編(ディレクターズ・カット)という事もあり、本作にはこの現代社会で生きる大人、子どもへと突きつけられた風刺を盛り込んだ作品であるという事が一層鮮明に描かれております。
もっとシンプルに、理不尽デスゲームに参加させられた事で誰も彼もが狂っていく、疑心暗鬼に陥る様を堪能する娯楽映画として見るも良し。
このような残酷な環境だからこそ際立ってくる、ティーンエイジャーならではの友情、恋心の輝きに惹かれるも良しです。
数々の要素が入り乱れている本作、一粒で何度も美味しい仕上がりとなっております。
俳優陣も豪華で、あの俳優の若かりし頃を見てみたいという方の需要も満たしてくれる楽しみが付与されているのも嬉しいですね。

しかし七原、藤原竜也氏のビジュアルが良すぎるもんですから何かと女生徒からのフォロー、アプローチに恵まれているのが残酷です。
結局、こんな理不尽デスゲーム環境においても"イケメン”というアドバンテージは相応の力になるんですよね…。
理不尽………(非モテ勢の僻み)。