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私ときどきレッサーパンダのせのネタバレレビュー・内容・結末

私ときどきレッサーパンダ(2022年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

せっかくDisney+に入ったのだから略。
かなり攻めっ気が強く理論的な作品だなと感じたので今日は感想文というよりは多分これだろという考察?を書く。

今作はタイトルを付け直すとしたら、『我が子を「アダルト・チルドレン」(以下「AC」)にしない為には』といった感じの内容だった。
「AC」とは、子供時代に家庭内の事情によって精神的な不和やトラウマを抱え、そしてそれを乗り越えられる事なくそのまま大人になってしまった人を指す語である。

この物語の主人公はメイの母親・ミンの方であり、メイは母親の子供時代を当事者目線で同時に描写する為の存在だ。
メイが劇中で抱いた不安や不満は母親も昔味わったものである事が祖母とのやり取りの様子やライブ会場での会話、竹林での出来事の中でしっかり描写されている。

そしてレッサーパンダは分かりやすく思春期の化身である。
ミンは結婚し母親になり「大人」になる事を自分に強いて己の心の傷と向き合わず封印した結果、むしろ思春期の頃の自分を内に抱えたまま成長してしまった。
だから彼女のレッサーパンダは巨大で、思春期になって間もないメイのレッサーパンダは小さいのだ。

では子どもの自分を持ち続けるミンが何故あんなに母親然としているのか。
それは彼女の中に「インナーマザー」がいるからだ。
「インナーマザー」とは子ども時代に自分で刷り込み消せなくなってしまった、脳内に巣食う己の親像の事である。

「AC」の多くは親から親自身の価値基準で定められた「良い子」である事を強いられながら育っている。
親の定めた「良い子」でいる為には親の考え方に則って行動し続ける必要があるので、親の価値基準を覚え、時には自分の考えがそこに全く合致しなくても記憶の中にある親の基準を優先させて動かなくてはならない。
これを繰り返すうちに脳内に親自身が居るような状態が完成する。
これこそが「インナーマザー」の正体だ。
そして最終的には自分の価値観が「インナーマザー」の価値観に上書きされてなくなってしまう。
親自身ではなく「インナーマザー」によって「マインド・コントール」や「洗脳」が行われてしまうのだ。

メイも同様に、祖母の教育という名の「洗脳」によって自分が子どもだった頃にどうしてほしかったかという自分の意見を失い、ただひたすらに「母親はこうすべきである」と頭の中の母親が囁くのに従って「良い子」に子育てをしている状態だ。
いくら母親と離れていても連絡を取り合っていなくても娘としての自分がそれを選択させるのだ。
そして彼女は頭の中の祖母が定めた正しさを基準に自分が抱えたトラウマ経験を娘にも与え続ける。
何ともゾッとする話ではないか。

しかしもっと恐ろしいのはこの「レッサーパンダの封印」はメイの祖先が移民になって以降、代々受け継がれてきたという設定である。
祖母もかつてはメイやミンと類似した体験をして育った人であり、その祖母の姿はメイの将来の姿でもあるという事になる。
このように数世代に渡って同様の問題が繰り返し起こっている状態を「世代間連鎖」と言う。
これを呪いと言わずして何と言おう。

幸いメイの手によってこの連鎖は断ち切られ、ミンも自分自身も過去に同じように傷付いた事を自覚し直し、自分は自分、娘も祖母も別の価値観で生きているのだと認識して過ごせるようになった。
この過程はかなり荒っぽくだがカウンセリングで取るべき行程を再現しているのだけれど、そこについても書き始めるとただでさえ長文なのに収集付かなくなりそうだからやめる。

とりあえず、見て一番に感じたのは子ども向けじゃないなという事。
年齢制限は特にないようだが、明らかに未就学児よりも未就学児を持つ親向けだと思う。
生理等の話も幼い男児には説明し辛いし、万人が楽しめるはずと子に見せた親の中には視聴してから後悔した人も居るのではなかろうか。
まぁ、「あなたは子どもだからまだ早いし兆候が出れば対応するつもりだった」で後手に回る母親の姿が、この疑問に対する監督の返答なんだろうな。
私的には子どものお守りよりも児童発達や心理関係の教材にでもした方が丁度良いように感じる作品でしたまる

そして、メイやミンに強く共感を覚えた人は自己の育った過程を一度見直してみると良いかもしれない。
あなたの家系にも呪いが掛かっているかもしれませんよ。
せ