akiakane

私ときどきレッサーパンダのakiakaneのレビュー・感想・評価

私ときどきレッサーパンダ(2022年製作の映画)
4.2
我は激怒した。かのディズニーの配信サービスに意地でも入会すまいと決意した。我には米国の事情は分からぬ。けれども女性でアジアルーツのドミー・シー氏が世界的アニメーション制作会社で制作した監督作品が配信限定(それもDisney+のみ)になってしまい、がっかりするやら腹立たしいやらでレッサーパンダに変身しそうだった。(※2023年の話)


そんな心待ちにしていたという贔屓目を引いても、本作が思春期の成長と葛藤、自分を肯定することの大切さを巧みに描いた傑作だった事実に変わりはなかった。

知識や体が子どもでなくなっていく一方で、保護者の庇護と監視・束縛を受けざるを得ない煩わしさ。期待を掛けてくれる相手に応えたいと思う一方で感じるプレッシャー。理想通りにならない現実に対する苛立ち。近しい友人の前だとはっちゃける。
ピクサーアニメで生理とそれに纏わる恥と気まずさまで描写し、突然巨大なレッサーパンダに変身するという突飛さとピクサー持ち前のコミカルさを持ちながら、思春期のオタク気質少女とその周囲の描き方は思わず共感性羞恥を覚えるほどにリアルだった。
(後に黒歴史になるであろう妄想ノート、それを描くときの謎の動きとキモい笑み、数々の「秘密」をベッドの下に隠し、隣の席の友人と手紙を回す。たまごっち、チョーカー、シールのイヤリングなど懐かしさでちょっと恥ずかしくなるグッズも登場。)

それもこれも、ディズニーの典型的なプリンセスや型にはまった美少女といった「モデル」ではなく、絶妙に「いそう」な少女たちと、「いそう」な強くてかっこいい中年のおばあさま、おばさまたちのビジュアルだからこそ成せる業だったと思う。
(翻って邦画のアニメだと男性キャラには体形や年齢に幅があったり顔がリアル寄りになったりするのに、女性キャラが「モデル」のカーボンコピーばっかになるの何とかならんか。我が国のアニメでは見目麗しくなかったり中年過ぎたりした女は死ぬんか?)

そして、メイが周囲の助けを借りながら「好きじゃないところも含めて自分の一部」だと変化を受け入れ、同時に最も苦しんでいた母親や保守的な祖母にも訪れる変化に、いくつになっても連帯し成長できるシスターフッドの希望を感じた。


※ただ、ママは一回メイとメイの友達にちゃんと謝った方が良いと思うよ。(流石に大人げなさすぎた)

《余談》
①怒りや恥ずかしさで「顔が赤くなる」という意味(「turn(〜になる)+red(赤い)」)と、Red panda(レッサーパンダ)を掛けている原題の『Turning Red』を汲んだ邦題にしてほしかった。

②アジア系の移民女性として生き抜くためにと母親が教育熱心な反面、三世代にわたって次世代に期待とプレッシャーを押し付けてしまう展開は『エブリシング・エブリウェア・オールアットワンス』を思い出した。
(両者とも都合の良い「タキシード仮面」にならず、サポートとケアができる「パートナー」な父親が最高)
akiakane

akiakane