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ブルー・バイユーのotomisanのレビュー・感想・評価

ブルー・バイユー(2021年製作の映画)
4.1
 アリシアの「ブルー・バイユー」を聞きながら、それがアントニオのたどる未来かと思えて来る。迷走暴走するこの男への苛立ちもほどけてゆくようだ。

 どちらかと言えば、「ダラス・バイヤーズクラブ」のような綱渡りで暴政に立ち向かい主人公もまた様変わりしてゆく話を想像していたのだが、アリシアの歌にウイ・シャル・オーバーカムな気分は溶け去る。
 だいたい旧悪を引き摺りながら、あんなアリシアとジェシーと暮らすのが身の程を越えた感じで訝しい。しかも東洋人にしか見えないのにスペイン系のようなアントニオを名乗るちぐはぐさ、つまりこの男にはどこか悪党の臭いがプンプンして、永住権を取ってないのだから当たり前のように生まれた国に帰れと告げられるのももっともと思えるのだ。
 だから、悪党なら悪党らしく法の裏をかくにせよ、手の汚しようはバイク窃盗でなくてもと、また合法の綱渡りで身分を掠め取る術でもありはしないかと思えてくるのだ。
 そんな考えをアリシアと共にベトナム人パーカーが揺さぶってくる。離郷する難民船で子孫を絶やさぬ方便と称して母親との生き別れを強いられ、ついに自身の一家、子孫を得ることなく癌で亡くなろうとするパーカーが祖父のように悔い無しと言い切れるようとは到底思えない。このような敢え無い運命をぶつけられる下で一東洋の漂着者であるアントニオの法と社会に挑戦するごり押し人生行路をどう想像できよう。

 エイズになっても期日までに死ねと言われはしないが、国際養子縁組の永住権取得手続きの欠陥を永年見過ごした政府は退去の日時を限り、再審査申し立ての余地を呉れはしない。米国人の身分に死を寄越して、韓国で生まれ変われという無理無体もおかまいなしだ。
 しかし、パーカーが一家で耐え忍び、パーカー自身、死ぬことについてなす術がないものの末期の思い出を飾るようにアントニオの背に靠れて素顔の自分に還っていった事にアントニオもまた米国永住の奇策に賭けるのではなく、遠く離されてもアリシアとジェシーとの細くて暗い道を探り合う事になるものと信じられてくる。
 彼らが実際再会できるのか何の期待もなく、ただ誓い合った空港での一瞬だけは言い伝えられ生き続けるような気がした。
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