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セバスチャンと僕たちのdm10foreverのレビュー・感想・評価

セバスチャンと僕たち(2016年製作の映画)
3.7
【ピーターパンシンドローム】

観る前から気になっていた「邦題の謎」。

「Sebastian and Them」っていう原題からストレートに邦題をつけるなら「セバスチャンと彼ら」になりそうなところを、あえて「~僕たち」とした真意とは?

これってちょっとした違いのようで、映画の視点そのものすら変えてしまう可能性のある違いだし、そもそも「~僕たち」って主人公セバスチャンとは別の人格がセバスチャンを見ているっていう意味だよね・・という軽い混乱。

でもそのお陰でいろいろ考えることもできた。
(もしかしたら邦題によってミスリードされた可能性は否定しないけど)

っていうのもね、この作品をさらっと観た感想として浮かぶのは、一種の「ピーターパンシンドローム」的なセバスチャンの心の病のお話しだと思ったんです。

「大人になれない(なりたくない)」という心のメタファーとして子供の頃から大切にしている『パンダ』と『テディ』というぬいぐるみを捨てることが出来ないことが描かれていましたが、同時に医師の診療を受けているという件からも、ただ単に「現実逃避」的なメンタルの弱さを描いているのではなく、既に日常生活にまで影響を及ぼし始めているくらいに症状が強いという事なのではないかと感じました。

そんな中で、「ぬいぐるみを捨てる」という強硬手段にでた彼女(奥さん?)のケイティに対して、自分の中で抑え切れない感情が幻覚となってセバスチャンを支配していき、最悪の結末に至ってしまった・・・というのが、きっとこの映画の「サイコ」な一面を表していたのかな?と感じました。
最初に観た時はね。
で、改めて邦題について考えてみたとき、「~と僕たち」という言葉がもつもう一つの可能性が頭を過ぎりました。
つまり、この物語は「パンダ」と「テディ」というぬいぐるみの視点から描かれたお話しだったという可能性です。

それは、もしかしたら「トイ・ストーリー」のような世界観のお話しなのかもしれません。
ただ、これはあんなファンタジックな優しいお話ではなく、リアルに「おもちゃ」が自分の居場所を失わないようにするためセバスチャンに仕向けた・・・という。

というのも、セバスチャンがドラッグストアで店員に処方薬を頼んでいるときに現れる「パンダ(の幻覚)」が「薬なんか必要ないよ。お菓子でもどう?」といって、売り物のお菓子を勝手に食べているというシーンがありましたが、セバスチャンがビックリしてお店を飛び出した後もそのお菓子はそのままカウンターに置かれたままだったんですね。そして、それに気がついた店員はおもむろにそのお菓子を食べてしまいました。

つまり、あのシーンはセバスチャンの妄想には留まらず、現実的にあそこでお菓子を持っていた「何か」がいたという事だと思ったんですね。
それは「意思」を持って動いていたぬいぐるみの存在を示すものだったんじゃないか・・と思ったわけです。
そして、そうすることで邦題の「セバスチャンと僕たち」という意味にも繋がるんですね。

この物語のうまいところは、それをチャイルド・プレイのチャッキーのように一方的に動き回るぬいぐるみという存在として確定させずに「もしかしたらセバスチャンの幻想かも・・」という余地をギリギリまで残したところ。
これのお陰でクライマックスのおぞましい展開すらも、もしかしたら夢オチなのかも・・というニュアンスすら漂います。

これは果たして「現実」なのか、それとも「夢」なのか、あるいは夢と現実の狭間にあるような「明晰夢」のようなものだったのか・・・。
本当にラストの不穏なあの1カットが様々な妄想を掻き立てます。

描き方や表現は割りとリアル側で表現していながらも、途中途中で「グイッ」と視点を逸らされるような不思議な感覚。

短い時間ながらもなかなかよく出来ていた作品だと感じました。
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