QTaka

グレタ ひとりぼっちの挑戦のQTakaのレビュー・感想・評価

4.0
その少女は、突然現れた。
北欧の小さな国から、突然世界に向けて、メッセージが発信された。
大人たちは、ただただ、慌てるだけだった。
.
グレタ・トゥーンベリの主張は、世の中には突飛で、ピント外れな、受け入れ難いものに見えたに違いない。
まして、その行動(たった一人で始めた行動が後に世界中の若者を巻き込んでいった。)は、理解し難いものだったであろう。
何を言っているのか、何が目的なのか。特に大人たちは理解できなかったに違いない。
グレタの行動、さらに発言には、今、何かをどうするといった具体策は無い。(15歳の少女に、世界規模の政策を期待する方がどうかしていると思うが。)そのことを持って、真正面から批難するプーチンや、ジョークにもならない酷い態度を取るトランプ、ボルソナーロ等。主要国の指導者の態度の残念さは、救いようが無い。
大人たちは、グレタの行動を前に、まさに狼狽(うろた)え、慌てていたのだろう。否定しようの無い、自らの世代、あるいはその責任在る立場の者たちの体たらくを世間に晒すことになった事態に、抗うことすら惨めであった。
これがこのドキュメンタリーのもう一方の主役達である。
.
映画冒頭のストライキの場面のナレーション。
「気候のことはよく話題になります。
だから(中略)みんな、なんとなく分かっています。
でも、どんな結果を招くかは理解してません。
地球が複数存在してるような暮らし方です。」
グレタの主張は、未来を指していて、それはただ一つしかない”地球”の事なのである。
.
斎藤幸平氏が、著書『人新世の「資本論」』でグレタの主張を次のように取り上げている。
「グレタの主張は、資本主義が経済成長を優先する限りは、気候変動を解決できないというものである。」
斎藤氏がこの著書で論じているのは、資本主義という経済学を元にした、過去、現在、そして未来の社会についてである。
現在の世界について、帝国的生活様式を守ろうとする先進国と、そのつけを負わされる「外部」として存在してきた発展途上国という構図を提示して説明している。
先進国の環境対策とは、そのほとんどを発展途上国へ丸投げする事でしかない。それは、そのまま発展途上国の大地を破壊し、労働力と資源を搾取することである。
しかし、今や、その搾取すべき労働力も土地も資源も枯渇してきている。
先進国は、もう、地球の隅々にいたるまで、その搾取の手を尽くしてしまったのである。
地球は、極く一部の人々の為に無限の資源を与えてくれる場では無いことに気づかなければならない。
地球は、一つしかない。
.
ここで、斎藤幸平氏の論とグレタ・トゥーンベリの主張が重なる。
我々は、今までのままの生活を続けるわけには行かないのだ。
今、現在の地球について、正面から向き合わなければならない。
我々の居住する地球は、ただ一つしかないのだから。
これが斎藤氏とグレタの主張のスタートラインだ。
そして、そこから考えたときに、我々のとるべき道は、これまでの政策でも、経済でも無い事は明らかだろう。
経済成長を目的として、その為の政策・行動を常とする事はもう通用しない。
.
斎藤氏はコレを論として解き明かすが、グレタは大人に向かってこう言う
「私たちに附けをまわすな」
「現代の大人として責任在る行動を取れ」と。
それは、国家指導者のみならず、我々現代を生きる大人たちに、”考える”ことを求めている。
当たり前を生き、ここに在る生活を維持することに汲々としている私たちは、日々をなんとなく生きている。
あえて考えていないのだ。全く。何も。
だまっていても、明日は来るし、今日のことは忘れる。
そして、その先の未来など、考える必要すら無い。
それでは、未来を生きられないことに気づかなければならないのに。
グレタは、その未来を生きる存在なのだ。
多くの大人たちは、既に、現在すら生きていないのかもしれない。
なぜなら、何も考えずに息だけしていても、それを生きていると胸を張って言えることにならないであろうから。
もちろん、このままでは、大人たちに生きる未来など在ろうはずが無い。
.
未来を論じる人がいる。
未来を生きようとする人がいる。
そのことに、異論を挟む余地など本来ないはずだ。
むしろ、その姿に何かを感じるならば、自らも未来を生きる為に立ち上がるべきなのだと思う。
せめて、若者たちにとっての裏切り者にならないように。
.
グレタの活動の様々なシーンがカメラに捉えられている。
多くの大人たち、それも地位在る者たちに出会っているのだが、グレタには、夫々がそれぞれの”役”を演じているに過ぎないと映っていた。
ローマ法王ですら、その演者の一人でしかなかったのかもしれない。
そんな中で印象的なシーンは、15歳の少女の素の姿だった。
ポーランドで開かれるCOP24の会議に招待され、道中のフェリーの甲板で風に吹かれる親子の場面
ただの親子の姿であるけど、その姿すら神々しく思えるほど、この少女の存在とその言葉は、大切なのだ。
.
この映画は、現代を生きる”総ての大人たち”が見るべき一本だと思う。
.
『サステナブル未来映画祭セレクション』(シネマ映画.com)にて鑑賞
QTaka

QTaka