ナミモト

最後の決闘裁判のナミモトのレビュー・感想・評価

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
3.9
羅生門形式で、3者それぞれの立場からの証言に基づく、全部で3章からなるストーリー。最後のマルグリットの証言がより真実に近いように描かれていた印象です。どの立場の味方にも寄らないような淡々とした描き方ではあるなぁ、という印象もありましたが、ラスト、訴えられた側がとことん罰せられるのは、押し込められていた女性たちの声を拾うような、今の時風寄りなのかな、と。
14世紀フランスで実際にあった訴訟と、その訴訟による決闘裁判に基づいているとなると、おそらく、男性側の視点を中心とした記録を男性たちが読み解いただろう裁判記録を、夫人(女性)側の目線で描き直した点が評価できると思います。

裁判中の周囲から浴びせられる「あなたも絶頂を感じていたのですか?」等の無配慮な質問の数々は、セカンド・レイプそのものです。あんなに胸の空いたドレスを着ていたから、お前もそそのかしたのだろう?という夫の視点。それも、セカンド・レイプです。医者から言われる、黒胆汁気質どうのこうの…(あれはヨーロッパ中世の医学見解としては、興味深く見ていました。メランコリーとかそういう関連ですよね)、女性だからヒステリックだということ、それは差別です。レイプや性交渉が、本作で暴力的に描かれていた点、変にエロティックに脚色をしていない点、それは現実にそのように誰かを傷つける行為として、それが起こってきたことがあったためでしょう。
でも、#MeToo運動含めて声を上げた女性たちの多くが、ネットや街中で同じような誹謗中傷を浴びせられる昨今の現実。「逃げなかったお前も悪い」のような罵倒。本作でマルグリットを傷つけた数々の要素と、今起きていること、両者の間に、何か違いが果たしてあるでしょうか?
ラスト、決闘後に、まるで抜け殻のようになってしまったマルグリットは、傷つきながら、残酷な形であれ自分の主張の正しさが成立してしまった時、果たしてどういう顔をしろというのか、そこには歓喜は微塵もなく、人間の業に晒された人にしかわからない空虚な感情があるのだろうと感じました。

また、個人的に印象的であったのは、義母も、若い時にレイプされたことがあり、でもその時の嫌な思い・虐げられた悔しさ・苦しさをたった一人その内に隠して、その代償として、私は生き続けたのだと語るシーン。理不尽な暴力を受けて、誰も彼もが声をあげられるわけではなく、義母は彼女なりに息子を育て、家を守るために、生きることを続けるために闘ったことを、多くの女性が21世紀のいまでもこの義母に近い状態にあるかもしれないことを、この視点も、見過ごして忘れてはならないと思います。訴訟を起こし、振るわれた理不尽な暴力は罰せられるべきだというのは絶対そうであるし、その点は否定しません。しかし、この映画が描いた1380年代(どれだけ大昔なんだろうか…)から、2021年を迎えたいまでも、ある部分で、女性蔑視と男性優先である世の中が抱えている変わっていない人々の意識の問題。この点を思い起こさせる優れた作品と思います。

追記
ル・グリ視点の際、レイプ事件の前に、マルグリットが自ら寝室にきたシーンがありますが、マルグリット視点ではそのシーンが描かれていなかった点。そして、カルージュとの間には5年間子供を授からなかったのに、そのシーンの際なのか、それとも事件の際なのかは分からないようになっていますが、マルグリットに息子ができる点。この2点は、本作が必ずしもマルグリット擁護の立場でもないことを示唆していると思います。多角的な解釈が可能であることは、優れた作品には不可欠の要素と思いますので、批判…ではないのですが、あくまで個人の憶測の域をでませんが、姑から子が産まれない事を詰られ、思い詰めたマルグリットが、夫以外の人とであればできるかもしれない可能性を実行に移し、その結果、一方的な恋愛感情をル・グリから寄せられてしまった、そして、その結果としての事件であった可能性もゼロではないのかな…と感じました。けっこう、マルグリットも男って単純よね、みたいな感覚を女友達と一緒に口にしていますが、それは逆に捉えると、女性側の男性観「男って単純で馬鹿よね」というのも、実は女性から男性への性差別でもありますよね。もし、その男性を軽んじる態度が、ル・グリのような男性を唆した結果の事件だとしたら?そうなると、本作の見え方もまた変わってきます。もちろん、“女は男の子を産んでこそ云々…”という価値観が根強くあるが故の行動でもあることは、そうなのですが…、各人の視点というのは、各人それぞれが自分に都合のいいように、自分を擁護するために記憶を改竄することだってあるわけです。真実は藪の中ですが、そこに事件は実際にあったことは確かで、結局は男性中心社会の陰とならざるを得なかった多くの女性たちがいたこと、そして、今なおそうである事は変わりはないので、この点は変わらずと思いますが。思いつつも、やっぱり気になったので追記です。
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