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最後の決闘裁判のRUNPENのレビュー・感想・評価

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
4.0
真実って一体なんなのだろう?
常識ってどういう事だろう?
考えさせられる映画だった。

(ネタバレアリ)

普通に観てると被害にあった女性の言う事が当然1番信じるべき話だし、性的暴行があったという事実はまぎれもない本当の事であろう。なので観ている間や観終わった直後は「やれやれまた愚かな人間(特に男)の話か…」と思いはした。
1300年代の史実といわれる物語がベースの映画である。男は名誉名声、金、支配という願望にまみれ、今も変わらず虐げられる女性という。700年も前からなんにも進歩してねーな!人間!と思いがちなのだが。

しかしこの映画を観てそんな感想を簡単にいだくのは実は危ういのでは?と思いなおす。

この問題には中世当時や現代にも存在する「常識」という名の概念のいまいちハッキリしない漠然とした、同時代に生きる人間達の大きな共通認識があるからだ。
一見悪役のような、過去に自分も性的被害を受けたと告白する姑や法廷に密告した友人(ママ友)もその当時の「常識」であった慣習を体現するキャラクターだとすれば何も悪くはないはずだ。とすれば夫カルージュの行動も理解できないものではなくなるという事でもある。
被害にあったことを告白する妻マルグリッドに「護ってやれなくてすまない」と言った夫の言葉は本心であるとは思うし、その言葉が妻には届いていなかった、覚えてもいない、という事はまた別の問題だと思う。

この映画の男達を擁護しているわけでは無い。登場人物が皆、友人や異性に対する心遣いが足りてなかった事が問題の発端である。夫とその周りとの人間関係、仕事におけるやりとりや、友人ル・グリに対する態度に妻との間柄。ル・グリの友人の妻に対する態度もそう。そしてそれは主人公である妻も夫や他者に対して同様ではないのかなと。(でもそれも女性が男性にあれこれ言うのは問題とされる時代の常識っていう壁があるのか…)
まぁそれを考慮しても夫の戦(いくさ)以外の仕事(自分の領地内での行政)のできなさはどうしようもないのであるが。当然ル・グリの行った暴行行為は言語道断で許されるものではないわけだが。

姑やママ友の行動が示すような当時の常識から考えると、むしろ異端なのは主人公の方なのかもしれない。
という考えになってしまう事になる。昔と今では異なる「常識」とは一体なんなのか??という事は現代の常識にも疑いを持つことにもなる。今は当たり前だと思ってる事も何百年後には非常識になってしまうかもしれない。「常識」ってなんだ??

となると当時の常識でもって各人物が自分の行動を振り返る時に浮かび上がる「真実」とは三者三様で異なる考えになってしまうのは仕方ないのかもしれないし、それは現代でも同様で昔も今も何も変わりがない。「常識」と同様「真実」ってのもかなり危うい概念であると思う。

調べてみると1300年当時ですら野蛮であるとの理由で決闘裁判なる司法は時代遅れなものであったらしい。公的に行われた決闘裁判の最後の記録がこの映画の元になったお話だ。この頃には実際に行われても降参や結局話し合いで解決するなど、相手が死んで決着がつく事はすでにまれであったともいう。
それでもその廃れつつあったやり方でル・グリの行いを訴えて最終的に相手を殺すに至った夫婦2人には何かそれなりの信念があったのだと思う。
夫は本当に自分の名誉の為だけに決闘に挑んだのか?妻が悲惨な死刑にあうリスクがあるのに?妻は本当にリスクを何も知らずに夫の友人である加害者を訴えたのか?(マルグリットは識字知識もある上流階級者であるのに司法を知らないというのはちょっと疑問でもある)加害者であるル・グリに関してはちょっと擁護は難しいのだが。(でもこれも本当の犯人は覆面を被った男でル・グリではなかったという説もあるらしい…歴史とは謎ですなぁ)

過去の風習や野蛮に見える行動を批判するのは簡単だが現代に生きる私たちは過去の人間を非難できるほど成熟しているのだろうか?とてもそうは思えないけど。

この映画で残念なのは第3章であるマルグリッドの視点をことさら「真実」と煽った点だ。当事者である3人の視点を普通にフラットに見せてくれるだけで充分だと思う。とはいえ色々な事を考えさせられるこの映画は美しい美術と迫力ある決闘シーンや違和感なく誰もが当時の人間に見えるのがとても良い(当時のヨーロッパ人がどんなのか全然知らないくせに言いきる)

しかしアダム・ドライバーの濃いい顔と声はホントたまらないですな。ベン・アフレックの金髪オカッパも西洋時代劇してて似合ってるし、マッド・デイモンの筋脳具合も説得力がある。なにより主人公マルグリット、ジョディー・カマーの美しさはとても素晴らしいのです。
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