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最後の決闘裁判のsomaddesignのレビュー・感想・評価

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
5.0
長いトンネルを抜けるとそこはやっぱり地獄

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1386年、百年戦争真っ只中の中世フランス。フランス史上最後の「決闘裁判」を基にした物語のノンフィクション「決闘裁判 世界を変えた法廷スキャンダル」を原作にした映画化(のちに原作邦題も「最後の決闘裁判」に改題)。騎士カルージュの妻マルグリットが、夫の留守中に乱暴されたことを打ち明ける。激怒するカルージュに犯人は夫の旧友ジャック・ル・グリであると訴えるが、目撃者もおらずル・グリは無実を主張。真実の行方は、カルージュとル・グリによる生死を懸けた「決闘裁判」に委ねられる。

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公式サイトしょぼすぎ&パンフも作られない問題。自分の不勉強さもあるだろうけど、14世紀のフランスが舞台で、時代背景や倫理観、政治制度ってそんなに一般常識なのかしら?


リドリー・スコットが黒澤明にオマージュを捧げた、実話ベースの重厚なサスペンス。152分もあるのにあっという間!久しぶりの満席の劇場鑑賞だったせいもあってか、終盤は体が熱く汗ばむほどにググッと引き込まれてしまった。リドリー・スコット80代になっても、まだまだこんなハイカロリーで面白い映画作るって名匠ってスゲえ!

芥川龍之介の「藪の中」スタイルの多元焦点化ドラマ。(黒澤明「羅生門」の原案はこっちなので、色々ややこしい)。
三者三様の見え方の違いが正邪で分けられない、世界の複雑さを立ち上げる。現代の感覚からすると、理不尽で不合理な理屈でしか決着できない社会システムの滑稽さ。しかもその理不尽さは今尚ほとんど変わってない地獄っぷりを突きつけてくる。

オープニング、甲冑を身につける二人の男と、喪服に身を包む一人の女。立場は違えど、死地に向かう三人の運命の交錯点が始まり。倒叙法的に顛末がそれぞれの視点で語られる。

700年くらい前の話なのに、現代も大してアップデートされてない暗部について。あの裁判は当時のこととしても酷いし、あれがまかり通るのは人を財産の一部としてしか扱わないからなんだろな。今も国や地域によっちゃあ、残ってる文化だろうし。なんなら現代日本でも、封建的な価値観の名残やそのものが残ってたり。


ジャン視点で見れば、忠実に神と王に仕えてるにも関わらず、恩義を忘れて権謀術数に長けたヤツだけが得をする理不尽な世界に耐えている。社会制度に裏切られ、領主にも親友にも裏切られ、もしかしたら最愛の妻すら奸計の女かもしれない。それでも尚神の御技と自身の正義を信じてる……という危うさ。のちの展開を予想して見てしまってるとはいえ、脳筋すぎだし視野狭窄なジャンの危なっかしさが二幕目以降の端緒として面白い。

続くジャック視点。ジャンの無骨で直情的な性格は戦地ではいいけど、領地を治めるには不安が残るのもわかる。思慮深い実務家として如才なく活躍し、破綻寸前の領地の復活に尽力する一方、情け容赦ない取り立てから冷淡な性格が浮かび上がる。
女に不自由しない美男子な上に漁色家でもあって、相手に拒まれた経験がない(と思ってる)。なんなら自分に見初められるのは、相手にとっても誉れくらいに思ってそう。ジャックの中では強姦は存在しない。アホかと。

マルグリットは聡明で理知的な女性で、か弱い被害者とは描かれない。事件そのものは被害者だけど、自分のした決断に対して揺れもブレもある。勇気を持って声を上げて、セカンドレイプみたいな裁判にも挫けそうになるのがいい。けれども特別な女性じゃなくて、市井の無名の女性の声として描かれてるのが印象的だった。


ジャン視点だと命を賭けた勇気ある行動としての決闘が、マルグリット視点だと酷くバカバカしい仕組みに見える面白さ。とかく武勇・美談的に語られがちな「決闘」が、無為に命をやりとりする、腕力で物事を解決する不合理なシステムで、見つめるマルグリッドの視線の先にあるのは、どんな結末になっても地獄な「詰み」。

暗いトンネルを抜けた先に見える曇天と大聖堂。十字を切るジャンと裏腹に、無表情でそれを見つめるマルグリットの表情が印象的。胸糞悪いストーリーで、せめてもの救いは幼い我が子と戯れるラストシーンか。

性暴力のシーンの撮影に際してはインティマシーコーディネーターを入れて、演者のケアは勿論、表現上の配慮はされたそうだけど、目の当たりにするとやっぱり凄惨で見るに堪えない。(ラジオで「直接描写しない方法もあったのでは? 現実のレイプ被害の多くと同様、証拠も目撃者もなく被害者の証言だけ。その上で被害者の声を信じる視点があっても良かったのでは」て投稿があって至極納得)


別の見方をすれば、「編集」の恐ろしさを実感できる映画でもある。
同じシーン、同じセリフでも編集次第で全く違う意味を帯びる恐ろしさ。勝手都合のいい解釈で、他人の人生をエンタメとして消費する大衆の残虐っぷりも描かれてる。

忠実で実直だけど脳筋なジャンことマット・デイモン。久しぶりのベン・アフとの共著・共演。自分自身を当て書きできるメリットを生かして、ハマりっぷりが素晴らしい(ベン・アフレックは当初ジャック役が予定されていたが、他仕事のスケジュールとの兼ね合いでピエール伯に)

アダム・ドライバーが友人思いで有能な実務家の一方、どうしようもない助平なジャック。見え方によって、有能さが狡猾さにも見えてしまう難役。文系で華奢な印象があったので、重い甲冑をつけて肉弾アクションもやれてしまうのを見ると、役者さんてやっぱりすげえと感心しちゃう。や、もともとこの人カイロ・レンも演じてたか。

二人の男と理不尽な社会制度に翻弄され続ける女。演じたジョディ・カマーは「フリー・ガイ」での強さと可憐な姿から一転、強く自分自身であろうとする姿が素敵。

個人的なハイライトは、のちに狂王と呼ばれるシャルル六世を演じたアレックス・ロウサー。「9人の翻訳家」の繊細でナイーヴな青年役から一転、当時18歳の幼君を好演。いかにも若く幼い、浅薄短慮で残虐を好む暴君。伝説の歴史超大作ポルノ「カリギュラ」で暴君カリグラを演じたマルコム・マクダウェルを連想。天使の見た目に悪魔的な残虐さを秘めた、狂気の美少年っぷりが素晴らしかった。


余談)
マット・デイモンとベン・アフレックが「グッドウィル・ハンティング」以来26年ぶりに脚本タッグを組んで、作り上げたのがコレって、どうしてもワインスタイン問題の影響を邪推しちゃう。長年に渡ってワインスタインのセクハラ・パワハラを知りながら、出世の恩人なので見て見ぬ振りしてた懺悔の気持ちを受け取ってしまう。
おまけにそれぞれ演じてる役が脳筋ブ男と下半身ユルユル金持ちパリピって、パブリックイメージを逆手に取った自嘲にも思える。

69年
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