くもすけ

最後の決闘裁判のくもすけのネタバレレビュー・内容・結末

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

ティーンズのカップルで見に来ていた後ろの席はご愁傷さま。
脚本主演はデイモン・アフレックの「グッドウィル」コンビが20数年ぶりに実現。153分は長い。「羅生門」が元ネタ。「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」「ある女流作家の罪と罰」のニコルホロフセナーが女性視点部分を担当し主演女優はジョディカマー。「わらの犬」に似てるとの指摘も。

中世が舞台でレイプの真相を探る、というとロメール「O公爵夫人」を思い出す。クライスト原作で、ロメールらしいコスプレ映画のルックと話のキツさが独特のすっとぼけたトーンで演出された怪作。騎士の凶暴さをその流麗なイメージから剥ぎ取ってみせたといえば好評だが、「聖杯伝説」でもみられる女性の被虐性に寄りかかった演出が危ういバランスともいえる。

さて77年にデュエリストでデビュー以来最前線で取り続けてきたサーもいまや83歳。2017年「ゲティ家」は傑作老害映画だったが、本作では「オデッセイ」(2015)からの縁なのかデイモン主演のマッチョな男の家畜と化した女性を扱っている。
話の骨格は「藪の中」な構成でシンプル。こういう話だと、嫌疑を受けている三者三様が審問官に向かって陳情したり文書で書き留めたりしたものを観客が目撃する、となるのかと思ったが、本作はそうした誰が真実を言っているのかをそのプロセス(証言にかける意図のバイアス)から判断するものではない。そのかわり、3幕にわたって同じシーンを繰り返す個々の証言のどれを信じたらよいのかは、見た人が判断するように促している。

「羅生門」は京マチ子が妖女をのりのりで演じていて、単純にサスペンスとして緩急があって「演技」が楽しかった記憶。多分バーホーヴェンが撮ったらそういうわかりやすいビッチ解釈も入れた挑発的な描写になっただろう(かわりに本作ではアフレックが嬉々としてビッチやってる)。スコットの演出はおちついて、正直この題材ほんとに興味あるのかな、とも。シナリオの単調な繰り返しを支える映画の基礎体力はもちろん折り紙付きで、戦闘シーンをこなしつつ曲者ばかりのやりとりを淡々とこなしていく。時間の洗礼をうけて立派なおっさんになったデイモン以外印象に残らない気もし、女性同士のシーンがもう少しあったらちがったのか、とも。

で肝心の事件についての個々の証言の違いは、投げっぱなされている。というのも事件当時科学調査は皆無(妊娠についての科学的教義が象徴的)で、女性がレイプ被害を訴えるうえで不利になる仕組みのほうに注意を向かせる。社会的地位が低く、ゆがんだ貞操観念で家柄に縛り付けられ、同胞の支持も得られず(義母も泣き寝入りの過去ありで抑圧ぎみ。友人は非モテボケ)、たとえ訴えても認められなければ裸でむち打ち広場でさらし刑、それら危険を承知のうえなお訴え続ければ、特例措置として女性の所有者が被告と決闘のうえ神の裁定にもちこめる。デイモンは終始おらが名誉との戦いだと認識してカマーを家畜同然に扱っていて、最後の迫真の決闘で勝利の勝どきをあげ国王からお墨付きをもらうと、そのついでに妻にも一瞥を加える程度。前しか見えない見た目通りの脳筋。
剣闘試合はお祭り騒ぎで、国王からすれば諸侯の力を程よく間引きつつ、パンと見世物で市も立てばそれでよく、裁定の中身に興味などない。義母からすれば種が誰であれ跡継ぎができればそれでよし(留守の意図についてフォローほしい)。
唯一アダムドライヴァーだけが異色の存在になりえたのか。いい人役よりこういうサイコがよく似合う。ラテン語を嗜むハンサムインテリで最後の決闘でも明らかだが優秀な戦士で、伯爵の信任もあつく政治の才覚もある。彼を陥れるハニトラ陰謀説を中心にした作劇はとっていない。せっせと告解を済ませて坊さんに逃げ道を諭されるが、最後まで負けを認めない。この鉄面皮ぶりにスコット映画の風格がある。