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最後の決闘裁判のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

14世紀、フランス。騎士カルージュの妻マルグリットが、従騎士ル・グリに無理やり犯されたと被害を訴え出る。しかし、その事件の目撃者はおらず、無実を訴える従騎士と夫の騎士の主張は動かなかった。そこで、両者は真実をかけた決闘裁判に臨むことになる。

百年戦争最中の中世フランスを舞台に、実際に執り行われた最後の「決闘裁判」を基にした実話ベースの物語。
検事も弁護士もまだ存在しない時代、頼れるのは自分が見た・聞いた・体験した「主観」だけ。
それぞれの主観による言い分が違うとなると、なるほど真相は「薮の中」だ。
芥川龍之介の小説を元にした黒澤明監督の「羅生門」にどれだけの影響を受けたのは分からないが、本作はリドリー・スコット監督版、西洋版の「羅生門」だと言えよう。
男の醜い虚栄心と女性差別を描いた秀作である。

ジャン・ド・カルージュの言い分は「俺は悪くない、アイツが悪い。」である。
敵の挑発に乗って負け戦を誘発し、失墜。
領地を失ったのにも関わらず、失態を悪びれることがない。
自分が就くはずの地位を得られず、自分の代わりに親友のル・グリが出世すると嫉妬に燃え、事あるごとに彼を非難し、領主に嫌われる。
娶った妻マルグリットを守ろうとはするが、それは家の存続のためで「子を産む道具」としか考えておらず、妻の心も離れがち。
ル・グリが妻を犯したと聞くと、ル・グリを失墜させ、名誉を回復しようと国王に裁判を申し出る。
自分の行動の結果など顧みず、「かつての友は自分を利用して地位も妻も奪った」と責任転嫁の主張をする。

ジャック・ル・グリの言い分は「強姦ではなく、和姦」である。
豊富な知識を生かして領主の財政を立て直したル・グリは側近に取り立てられる。
彼に嫉妬するカルージュの罵倒に耐える中、騎士仲間のパーティーで出会ったマルグリットにル・グリは一目惚れする。
マルグリットが友人との会話で、「ル・グリが魅力的な男性だが、夫は彼を信用していない」と語ったのを聞き、ル・グリは彼女が夫を愛しておらず、自分に気があるのでは?と考える。
カルージュの留守中に一人の彼女を訪ね、告白した上でマルグリットを犯す。
告訴されたル・グリは「彼女は自分を好きなのだから和姦である」と主張する。

マルグリット・ド・カルージュの主張は、「私は汚された」である。
実はそこには強姦したル・グリだけでなく、夫も含まれる。

政略結婚で嫁いだ後、なかなか子供に恵まれなかったマルグリットは、責任を感じつつも貞淑な妻として夫に仕えていたが、不遇に苛立つ夫から十分な愛情はなかった。
ル・グリの印象を語った言葉を誤解され、彼女はル・グリに強姦される。
マルグリットは夫に事実を伝えるが「ル・グリを誘惑したのではないか」と疑われ(侮辱され)、「ヤツを最後の男にはさせない」と無理矢理抱かれる。

「ル・グリは私を強姦して身体を汚した(だが、夫も私の心を汚した)」が正しい彼女の主張だろう。
真の被害者はマルグリットである。

男は己れの名誉のために主張を曲げない。
裁判は国王が裁きを下すのではなく、あろうことか、その行く末は生死を懸けた「決闘」に委ねられる。

「正しい方を神が助け、生き残る」というのが、現代では信じられない野蛮な采配である。
勝者は正義と栄光を手に入れ、敗者は罪人として死罪になる。
そして、もし夫が負ければ、マルグリットも偽証の罪で火あぶりの刑を受けることになる。
決闘裁判を数日後に控えた日、マルグリットは男児を出産したが、場合によっては生まれた子どもは両親を失うのである。
(「愛のない強姦で妊娠するはずがない。それが神の摂理だ」というセリフがあるが、恐らく生まれた子の実の父親は、マルグリットに恋をしていたル・グリなのだろう。決闘の結果がどちらが生き残ろうと、子は「父親」を失うのが皮肉である)

マルグリットにとっては、自分を傷つけたどちらが決闘で勝っても嬉しくはない。
どちらが勝っても、囲われ者として、その後の彼女の悲惨な境遇は目に見えている。
決闘は凄惨を極めるが、決闘を見つめるマルグリットの冷淡な視線に釘付けである。

決闘の結果、カルージュはル・グリを殺し、主張が受け入れられたマルグリットは拘束を解かれる。
敗者ル・グリの遺体が吊るされる中、カルージュは群衆から喝采を浴びながら決闘場を後にするが、マルグリットの表情は晴れやかなものではない。

数年後、カルージュは十字軍遠征で戦死し、マルグリットは夫の財産を守りながら平穏に暮らしたものの、生涯再婚しなかったことが語られる。
ラストにようやくマルグリットの笑顔が写し出される。
子どもの健やかな成長を(傲慢な男に邪魔されることなく)見守る女性の幸せがそこにある。

絵画のような美しい構図の映像と50〜60年代のハリウッドの歴史スペクタクル映画のような絢爛な美術は、さすが映像派リドリー・スコット監督。
男の愚かしさと悲惨な女性の境遇を丹念に(しかも視点を変え、繰り返して)描くため、物語が長く感じてしまうのが難点だが、ムカムカと苛立ちや怒りが続くおかげでマルグリットが解放された鑑賞後の余韻は大きな安堵感に包まれる。
齢80歳を超えて、リドリー・スコット監督がこれほど重厚な(多重構想な)作品を撮るとは驚きである。

女性を人間として認めない男の愚かしさ。
己の行動を客観視できぬ男の愚かしさ。
法ではなく、己の運命を天に任せて決闘に臨む愚かしさ。
出てくる男は全員、虚栄心の塊のクズばかりである。
女性の視点も交えるため、男の傲慢さが際立って見える。

下らない見栄とプライドのために生命を懸けて戦うことがそんなに偉いことなのか?
本当に尊いのは生命を産み育てることではないか?
世の男性は猛省すべき作品であり、女性の人権を訴える作品である。
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