よーだ育休中

LAMB/ラムのよーだ育休中のレビュー・感想・評価

LAMB/ラム(2021年製作の映画)
3.0
人里離れたアイスランドの山間で牧羊を営んでいる夫婦が、いつものように羊の出産に立ち会う。しかしその母羊から産まれてきたのは仔羊では無かったー。


◆産まれてきた《禁断(タブー)》

アイスランドは金融や漁業のほか、牧羊がとても盛んな国の様ですね。アイスランド古代種とも呼ばれる人工的な品種改良が行われていない《アイスランディック・シープ》というブランド羊もいるのだとか。そんな伝統的とも言える、古くから続く《羊飼い》という職を営む夫婦が未知との遭遇を果たしてしまったのが今作。産まれた仔羊は、頭と右腕が羊で、その他は人間という特徴を持った《半人半獣》だったのです。迷える仔羊は産まれた仔なのか、羊飼い夫婦の方なのか。

産まれてきた《禁断》に、幼くして亡くなった娘と同じAdaという名前を与え、羊たちの群れから離して、自分たちの手で育てようとする夫婦。夫Ingvar(Hilmir Snær Guðnason)と妻Maria(Noomi Rapace)の距離感、そして間の取り方が非常に独特だったと感じます。すごくゆっくり間を取るというか、仕草や表情といった《雰囲気で語る》シーンが多く挟まれていました。

そんな二人の中に割って入ってくるのが、第二章で登場するIngvarの(結構クズそうな雰囲気の)弟Petur(Björn Hlynur Haraldsson)でした。粗野っぽさがありながらも、彼がいる事で物語の進行に弾みがつきました。Adaに対して不信感と違和感を感じ兄を問いただそうとする、我々視聴者の気持ちを代弁してくれる唯一の存在でした。元アーティストという彼の昔のPVがほんのりダサくていい塩梅。


◆子供を亡くした夫婦の距離感

《禁断》が産まれてから、夫婦の距離感は間違いなく縮まっています。娘を亡くしてぽっかり空いた心の穴を埋めてくれた《禁断》でしたが、彼(彼女?)を通して、時間をかけて、二人の関係は夫婦と呼ぶに相応しいものに戻っていきました。生活の中に異物が紛れ込んでいることをIngvarは百も承知。歪な家族であることは弟に指摘されなくてもわかっていました。彼にとっての幸せは『Adaが産まれたこと』ではなく『Adaを通してMariaと夫婦に戻れたこと』だったのでは無いでしょうか。

事務的な会話に終始していた二人が、Adaの誕生を機に肩を抱き合うように。第三章ではN. Rapaceが身体を張った演技をみせます。遂に二人が完全な夫婦に戻った瞬間であった様で、非常に意味のあるシーンだったと思います。


◆鶏と卵のジレンマ(ネタバレ有)

放牧している羊から突如生まれた《禁断》は確かに唐突でした。しかしながら、日常生活に異形が紛れむという歪で閉鎖的な生活を通じて、夫婦の再生を描く作品だと勝手に解釈していました。ラストでこんな《第三者》が現れるとは思っていませんでした。

『鶏が先か、卵が先か。』

当たり前ですが、親がいなければ子は産まれません。フィクション作品の中で《禁断》の存在に整合性を与えるだなんて恐れ入りました。まさか《お父さん》が出てくるなんて。ラストシーンを経て、遂にアバンのカットが繋がります。納屋で産まれたキリストの降誕を祝うクリスマスの日に、納屋で孕まされたのが《禁断》でした。

血に濡れたIngvarの手から無情にもAdaを引き離して去っていく人外。Adaの母羊を殺めたMariaは、夫と仮初の我が仔を奪われてしまいました。そしてタイトルバックの前に挟まれた《Mariaの独特の間》で語らせるカット。彼女にとっての本当の『lamb(かわいい赤ちゃん)』はその身に宿っていたのだと思います。『夫婦の関係を取り戻した』とは、何も性交渉で終わるのでは無く、その目的を遂げたこと(つまり懐妊)を意味していたのでは無いかと。

予期せぬ《禁断》によってもたらされた夫婦の再生は、《禁断》が連れ去られた事で終わりを迎えてしまったのでしょうか。最後のカットが意味していたのは、彼女にとっての『lamb(かわいい赤ちゃん)』は完全に奪われ(Adaは連れ去られ、胎児は流れ)てしまったのではないかと。迷える仔羊は、聖母の名を冠する彼女の事だったのですね。ごりごりの私見ですが。