おとめ

LAMB/ラムのおとめのネタバレレビュー・内容・結末

LAMB/ラム(2021年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

羊ではない「何か」が生まれた、と煽るので、出産シーンで何が生まれたのか目をこらすが画面が暗くて見えない。
セリフもイベントもほぼないので、アダが半獣半人とわかるまでは正直退屈する。
というか前半の何事かが起こっているときも画面が暗くて、何が起きたのかすらわからなかった。

アダの叔父のペートゥルが登場するまで、とくにこれと言ったこともなく進む。
初めてアダをみたら、私もペートゥルと同じ反応をするだろう。
「あれは何だ?」と。
母羊を射殺した上で我が子同様可愛がる兄嫁と、それを許容する兄。
一度は手にかけようとしながらも、彼らと同様にアダを受け入れることにしたペートゥル。
それは愛情より諦観から来ているのではないか。
バス停までも車で行かなければならないほどの辺鄙なところ、隣人の姿形も見えない場所ならば、アダを育てていても奇異な目にさらされることはないから。

しかしいつまでもアダの存在を隠し通せるとは思えない。
イングヴァルと朝食をとるシーンで、彼はパンをかじっていたが、アダはシリアルを出してきていた。
夫婦二人では必要のない衣類や食品を買う姿が頻繁に見られるようになったら、どこからか話が広がるだろう。
ペートゥルだって、町に戻ってからいつまで口をつぐんでいられることか。

まあ、人間に見世物にされる前に、アダは本当の父親(おそらく)の獣人によって取り戻されるのだが。
その際、イングヴァルは銃殺される。
ここを母羊の復讐と読み取る人もいるようだが、そうは思えない。
獣人は銃を使い、二足歩行し、アダの手を引く。かなり人間寄りの行動だ。
自らのように子どもを育てたいと思うならば、羊に育てさせるよりも人間に育てさせる方が手っ取り早い。
手のかからないところまで育ったから引き取りに来た、という風に思える。

そもそも夫婦は羊はもちろん犬や猫とも線引きして暮らしていた。動物は動物、人間は人間、と。
犬は羊を追い、猫は鼠を捕り、羊は羊毛を提供する。それが当然と思っていたのでは。
それならば、獣人が人間のことを「子育てする家畜」くらいに思っていてもおかしくない。
そしてその家畜を殺すときに復讐だとか恨みだとか、そんな複雑な感情があるだろうか。
マリアが母羊を殺したときと同じように、獣人だって「邪魔だから」くらいの気持ちで引き金を引いたのではないか。
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