せいか

LAMB/ラムのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

LAMB/ラム(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

09/26、AmazonPrimeにて視聴。字幕版。
犬は死ぬ。

殆ど二人きりの世界となっていた人里離れた場所で羊飼いをして生計を立てている夫婦が飼っていた羊が半羊半人の子羊を産み落として──という話。「羊飼い」「羊」「アダ(※普通の人名で、普通に解釈すれば「高貴な」程度の意味合いの名前だが、本作では「アダム」を連想させているのではないかと思われる。たぶん……)」「マリア」「ペートゥル(=ピーターすなわちペトロ)」を始め、夫の名前の「インクバル(※普通の人名だが、その意味は北欧神話のユングヴィ+戦士を掛け合わせたもので、要は「支配者」といったニュアンスになる。ユングヴィはスウェーデン王朝ユングリング家の伝説上の祖先ともされる。)」、ミノタウロスの羊版など、まあ、分かりやすく象徴的なものは散りばめられた上で静謐さを含みつつ思わせぶりにひたすら話は進行する。思わせぶり過ぎて、何となく言いたいことは分かるけど、正直、「で?」と思う作品としてまとまってしまっていると感じたが。

冒頭、濃霧の中で何かに怯えて逃げ惑う馬たちが実は物語後半に姿を見せる本当のアダの父親である半羊半人の化け物であることが分かったりもして、天変地異や禁忌的なことのために例の子羊が生まれたわけではないということも分かるのだけれど、いかんせん、「で?」となってしまいはする。

自然に半羊半人の子羊を我が子(の代わり)として受け入れた夫婦の異常さは二人が抱えている人生の暗闇から救われるためのもので、ある種、この子羊がイエスとかそれに類する聖なるもの、救ってくれる対象として機能しているのだろうとか、子供にすがろうとする母羊を敵視して殺すとか、そういうことは分かるのだが、なんか、自分が散りばめた要素をうまくその中で回収できてないものを観ている感じが延々する。そうするならこう来るかなでまとめられることなく、浅いところで終わり続けるというか。
羊たちの中の特別な存在としての子羊、牧場という閉じた楽園、そうした清らかなイメージの中に一般的なミノタウロスのイメージを重ねることで生み出す影みたいな、やってることは面白いなとは思うけれど、いかんせん、繰り返すように、思わせぶりが過ぎるので高尚にまとめ過ぎているというか、私にはよく分からんものになっていた。

鑑賞前はもっと人間社会の歪さを炙り出した作品なのかなと思ったけれど(もしやそのつもりなのかもしれないが)、特にそんなこともなく、予想外と言えば予想外なのだけれど、腑に落ちないというか。半羊半人という前面に押し出されていた要素に変に期待し過ぎたというのもあるとは思う。もっと陰鬱でおとぎ話や民話的で狂ったものを期待していた。

半羊半人(父)は子を取り返して野(というか荒野と捉えたらいいのかもしれないが)へと消えてゆき、一人残されたマリアは野の中で戸惑い、嘆き、目を閉じて終わる。……って、こういう最後も、なんかやりたいことはなんとなく分かるけど、ひたすら「で?」であった。

分かりやすい作品がいいという話をしているわけではなくて、なんか、単純に中途半端な作品だったよなと思う。私の理解力が足りないだけかもしれないが。
作中、羊たちが放牧されるシーンは(たしか)取り上げられることもなく、ずっと社会というものがほとんど存在しない、開放的かつ牧歌的な景色の中に独特の閉塞感があって、子供を囲んでみんなが楽しそうに過ごしているのに鬱屈としているというのが、多分、本作で描きたかったことなのだろうとは思う。ないしは、不意に自然からもたらされたものが痛みを産みつつ自然に帰るとかワイルドハント的なものとか、なんかそういう感じなのだろう。
閉じた世界から逃れたいのに逃れられない、逃れようとしない、悲しみを負った女がさらに不幸になる話だったのだろうか。分からん。
舞台となるアイスランドも日本人の私からすると冷たく閉じた僻村的な島に近いイメージがあるのだけれど、そういうイメージと合致するもの(=閉じた世界ないしはここを一種の迷宮と重ねるとか?)として使われているような気もするし、中途半端に終わっている気もするし。

なんだかなーと思いながらスタッフロールを観る作品。雰囲気映画と思ってええですか……?
せいか

せいか