takeratta

ずっと独身でいるつもり?のtakerattaのネタバレレビュー・内容・結末

ずっと独身でいるつもり?(2021年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

ストーリーが作り込まれ過ぎていなくて、シンプルで心に響くものがあった。

自分が、東京生まれ地方育ちで、また東京に戻ったためか、六本木の特異性はさほど感じられなかった。そんなにすごいキラキラした街とは感じないかな?!

「都市の空気は自由にする」と19世紀半ばの法学者たちは、近代史の封建的国家の農奴が、個人の自由を知り、人権を知り、社会革命を起こしてきたと分析してきた。

現代の、インターネットやブロックチェーン上の、個人、孤独と、相反して、緩くそれでも繋がりたい、繋がりたくても、COVID19 で分断され、良くも悪くも時間繋がりな発想ごと根こそぎ分断されている今(2022-09)、もうP活やギャラ飲みこそ、あまり耳にもしない。

(そもそも、お酒弱くて呑まないのと、女の人を見る目が、基本平等なつもりなので。他人を弄べない、或いは夜の経済学は、よく分からない、社会勉強不足もあろう。反省。)

響いたのは、「あなたは、あと何を売り物に出来るんですか?」という問い掛け。

正解の無い、禅問答のようだ。

自由になるために都会に出てきても、貧困と闘い、金の亡者になり、弱者の上に立ちはだかり、俄か戦国大名気取りしても、何の意味も価値もない。理由は、井の中の蛙だから。社会変革を起こせていないから。

そう考えると、人は、何の前に於いても(神の前でも、酒の前でも、欲望の前でも、敵や、愛する人の前でも)みな平等だなと。

ただ、女性が結婚、婚姻に抱える事柄の重みが大き過ぎる社会と気がつくのと、この国の結婚観が、あまりにも未成熟過ぎて、恋を楽しめる余裕すらない闘い(battle)の日々になっている事にも気付かされる。
パリやロンドンは70代の大人の男女がデートをするのを見掛けるから。何歳だから結婚は?はあまり聴かない、この国の田舎の人の発想かなとも。

(自分も言われて来たので、性別は女性ではないが、その空気は判る。もうそう心配する歳上は亡くなってしまったが。)

結婚は、ゲームでも賭けでもない。

結婚が、必ず幸せか?は分からない、かと言って再保険は掛けられない
(法的には重婚禁止国家なので)

彼女から恋人になり、妻となって、やがて母となり、親となって、円熟してゆく。

しがみつけるものが、伴侶であっても、なくても、グライダー人間のように、敷かれたレールをただ進むのは愚かしい。そこを自立せよ!と、ソーシャルリーダーは、女性達が主演女優なんだと、周りは気が付くべき時期を過ぎようとしているのだろう。

親も自分も子どもも、残酷なまでにいつか必ず死ぬ。人間の死亡率は、死因を別にすれば、100%亡くなる定めの生き物。

そんな儚げな青春や一生を何に捧げるかは、個々人の自由。
知恵を働かせ仕事を創り出し稼ぐ者も居れば、売り物が無く、己の身体や色恋商売して、春をひさぐ、人類最古の商売が、合法化されてる国家も有る。そんな人も居ても、その仕事を差別視はしない。
(職安法的には、仕事ではないし。
改正風営法的には、職安では職業紹介しない、危険業種。
欲望とカネはくっつき方が強い。
業種差別はしないが、信頼の金融業(銀行業,保険業等)から見ると、モラルハザード的な敬遠はされているのは悲しいがこれが現実。)

ただ、等しくどれもしんどい。

人生投げ出したくなることもあろう、誰かにしがみついて、泣き腫らして、ぶら下がって、駄々こねて、甘えたい時もあろう。
それを幼児性への退行と思わない。

辛くも人生とは、生から死への、一方向のベクトルを進む一回帰性の、後戻り無しな代物。

だから、今をどう生きるか?を迷わぬために、人はこの愚かしい殺戮を繰り返してきた人類の愚行の歴史を、学び我が身を振り返るのかも。

ポジティブに生きるのには、対話、会話や、言語を超える愛情表現や、感謝が基本として大事なんだなと再確認した。

ハグしたりキスしたり、手を繋いだり。やがて怪我したり病を患って自由が効かなくなっても、自分を投げ出さない、地に足ついた泥臭い事を避けない事は、大事なんだなとも思えた。

ソーシャルメディアや、ネットワークの今後を計る、良い距離感を確認できもした一作。

翻して、日本の因襲にある結婚観を変えないと(私自身も変わらないと)貧困や少子化は止まらないのにね。

キラキラ、ふわふわだけで生きては行けなそうな未来をどう思うか?
考えてみるのも悪くない。行動あるのみ。

鬱で苦しむ私が、ポジティブ生きるには、なんて感じるほど、恥ずかしいレビューになった。
(2021年 公開)
takeratta

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