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スープとイデオロギーのERIのレビュー・感想・評価

スープとイデオロギー(2021年製作の映画)
4.0
ヨンヒ監督の旦那さんになる香織さんがとっても素敵で思想を戦わせず共に時間をゆっくりと紡ぐ愛に泣きそうになる。

ヨンヒのお母さんの前では言葉が多いわけではないのだけど、彼女の生き方や思想に寄り添い温かく見守り自分ができることを静かにする。眼差しも優しいし手が優しい。ヨンヒの母にきた葬儀の広告に自分の親にするように葬儀屋に講義の電話を入れたり当たり前のように共に生きる。



本作はヤン・ヨンヒ監督の母親が体験した済州4・3事件のことを語り始めるところから物語は始まる。

アボジは娘に彼氏は朝鮮人がいいと言う。関西弁と朝鮮語を混ぜながら囲む食卓。韓国済州で生まれた父は2009年に亡くなった父は平壌にお墓がある。ヨンヒ監督は映画のこともあって北朝鮮に入国ができない。

在日コリアンの街、大阪生野区に生まれた母。北か南か全員が政治的思想を問われた。22歳の時、父と結婚する。当時、北朝鮮は地上の楽園と言われる在日韓国人の方はその地を夢見た。

父と母は活動家になった。在日本朝鮮人総連合会の幹部を務めて北朝鮮から勲章をもらえるほどの熱心な活動家。


3人の兄は帰国事業(在日朝鮮人の帰還事業のこと)として北朝鮮へと送られた。人間プレゼントと言われ、長男は精神を病み、母はそんな兄に仕送りを続けたが、長兄は平壌で亡くなる。30年間毎年訪朝し、45年間仕送りを続けた。

ヨンヒは日本でまるでひとりっこみたいに日本で暮らし、学校でも家でも祖国のことを悪くいうことは御法度だった。1997年日本を飛び出しニューヨークへ。祖国と向き合う決意をし、ドキュメンタリーを撮り続けている。


日本人の彼はダメだと言っていたけれど、ヨンヒが選んだのは長野県出身の日本人。ヨンヒをとても愛している人。

2018年、事件から70年の時を超えてヨンヒと香織さんとヨンヒの母は済州に三人で訪れる。済州4・3平和公園に訪れたがアルツハイマーを患う母の記憶は彷徨う。

1910年の大日本帝国のアジア侵略が始まり、韓国は植民地になった。1930年に大阪にきた両親のもとヨンヒの母は生まれた。15歳の時、米軍による大阪大空襲になり、ヨンヒの母は済州に疎開する気持ちで船に乗る。1945年8月日本広島に原爆が投下され、戦北朝鮮と韓国はアメリカ軍とソ連軍によって38度で分断された。母が疎開した済州で非道な武力鎮火が始まり軍と警察は動く人影には無差別に島民を殺した。18歳の母には婚約者がいたが、婚約者は死に済州では生きられないと密航船に乗り日本へと逃げた。弟と背中には妹をおぶり連れて。どんなに不安だっただろうか。。

両親が韓国を否定して、北朝鮮に三人の息子を送るほどの母の体験はなんだったのか。4・3事件を辿る中でヨンヒの中でいろんな想いが胸を締め付ける。
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