horahuki

Symptoms(原題)のhorahukiのレビュー・感想・評価

Symptoms(原題)(1974年製作の映画)
4.1
境界線上に漂う崩壊寸前の自己

人里離れた森の中のお屋敷で、危うげ女子(ドナルドプレザンスの娘さん)が静かに狂気を加速させていくサイコホラー。ララツ監督なだけあってレズ要素もあるけど、らしくないほど静謐なムードの醸成に引き込まれる傑作!おっぱいを出す出さないで一悶着あったらしい😂

(自称)翻訳の仕事をしてる主人公ヘレンが、友人で作家の美女アンを連れて森の中のお屋敷へやってくる。敷地内には雑用係のデカくて無愛想なオッサンが住んでるほかに誰もいない。そのはずなのに夜中になると囁き声や喘ぎ声(結構デカめ笑)を耳にするアン。主人公に聞いても「誰もいないよ」としか言わない。幽霊がクソデカ喘ぎ声を放っているのか、それともヘレンさんが…?😱

内容的には『反撥』とか『レベッカ』『イメージズ』『The Perfume of the Lady in Black』の方向性。ほんとこのジャンル大好き!😆主人公(アンジェラプレザンス)の表情演技が常に何かしらの狂気の香りをほんのりと漂わせていて、少しのことで全てが崩れてしまいそうな危うさが終始支配している。ソフトフォーカスの風景が美しくて幻想的であるのに、繋がれる各モチーフの不穏さの方が勝ってしまっていて、様々な森の構図が死・非現実への入り口のように見えてくる…何というかララツ監督のイメージが変わった😂明らかに「門」を潜ってるし。

恐怖演出は『回転』のような境界の向こうに佇む霊を捉えるものが多く、時計等の規則正しい音を背景に展開する静謐さがその雰囲気を盛り上げている。その時計の音が鼓動へと変更し、ジャーロの如くな病理的殺害シークエンスに移行するジャンル変更が面白く、その一方で雨や雷鳴の轟音によるゴシックホラー的な空間を音量の対比によって異常性を際立たせたりとかなり好き。『サイコ』のナイフ振り下ろし、後の『羊たちの沈黙』のようなめった打ちもあったりと全体的に好きなのが多かった。




以下ネタバレです。スルーしてください🙏





屋敷に着いた際に、始まりの合図のように主人公は時計を起動させる。それは屋敷や森の空間を装置として起動したかのようで、それを機に主人公は次第に頭痛を訴え、自身で口にする通り天候の変化とともに狂気が浮き彫りになる…というより順序は恐らく逆で心的な呼応として天候が設定されているのでしょう。外では仕事もその他の関係性も恐らくうまくいってないだろうことが端々の台詞から匂わされ、彼女を主人とする空間を築き上げる合図が時計の起動のように見える。そしてその起動された時計のチクタク音は(ほぼ)常に場面を支配し、それは鼓動の音、薪割りの音、血が滴る音へと変化し主人公の心情とリンクする。その支配にない友人の時計音は明確に区分されているのもそのためだろうと思う。

コーラの死は冒頭の編集により明確になるし、その理由も死体の在り処も観客には明かされる。主人公と雑用係オジサンは別々の意図でその死体を探しているも未だ見つかっていない。死体がずっと水に浮いてるのは、あちらとこちらの境界(認識という点でも)にまだ位置してるためで、それ故にコーラは毎晩のように屋根裏という主人公の心的空間から降りてきて彼女を犯す。それが喘ぎ声の正体なのだけど、恐らく主人公はコーラの死に対して半信半疑で、死を自覚していながらそれを否定しようとしているように見える。それ故に自身で探す際は消極的(恐る恐る)で、オジサンの捜索を鼓動音を響かせながらスパイしている。死体を見た後も否定したい気持ちを抑えられず屋敷の中に現れたコーラを追う。

積極的な殺人の際には黒衣を纏いコーラと同化することも意味深で、自分のもとを去る者や敵意を向ける者、立場を危ぶませる者を一方的に排除する。同化時の人格についてはvsオジサンの際に見られるように、明らかに雰囲気が変わり弱気で逃げがちな普段とは異なり強気で魔性を帯びている。恐らくコーラ自体がそういった性格であり、同化することでペルソナ的に自身を変身させるためなのでしょう。そして死体と対面し屋敷にもいないことを事実として突きつけられた主人公は、窓というスクリーンに決して触れられない彼方を映し出す姿に物悲しさが漂う。面白かった!個人的なフェチを突かれまくったのでスコアは甘めで!
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