春とヒコーキ土岡哲朗

笑いのカイブツの春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

笑いのカイブツ(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

情熱がある、という呪いで地獄行き。


お笑いが全てと決めた若者が、世界の生きづらさに苦しむ。

おれにはこれしかない、と道をはっきり決めるのは視界がブレなくて良いことのように思えるが、それ以外の全ての価値観に対応できなくなってしまう。伝説のハガキ職人ツチヤタカユキがそれに苦しんだ記憶。

5秒に1個ボケを考え、血が出るまで自分の頭を壁にうちつけ、コミュニケーション能力が乏しい。お笑い全振りでかっこよくも見えるが、お笑い界も人が集まり関わる社会である以上、それでは生きづらい。主人公は一生懸命面白いことを考えているのに、人間関係不得意なせいで嫌われていく。お笑いの世界が、面白い以外の価値観も必要とされ、それによって面白いことが阻害される。それは確かにむなしい。

それを「おもろいだけが正しいんじゃ」と言う主人公は、お笑いの世界なのに正しくないことを嘆き、「なんで誰かが決めた常識につぶされなきゃいけないんだ」と泣く。しかし、「おもろいだけが正しい」も、主人公が勝手に作った価値観。それが正しいなんて決まりはない。だから、どこまでいっても独りよがりということになってしまう。


生きづらい人間の味方である芸人ベーコンズ西寺は、ツチヤの不器用さもかわいがって仕事をくれる。しかし、ツチヤの不器用に理解のある西寺も、プロとしてお笑いをやっているゆえに、面白さを追うだけじゃ仕事は成立しないと分かっている。ツチヤがお笑いの世界でやっていくためには、本人が変わるしかない。
周囲の悪意を感じる「パクリ騒動」のときは、不器用でも面白いことを考えるのにまっすぐなツチヤが美しく思えた。でも、西寺の善意にも答えられないと、それはもう「そのままじゃダメなんだよ……」という気持ちになる。
だけど確かに、弱い者の味方な人も実はちゃんと社交性があって、できていないのは自分だけなんだと思ってしまう悲しさには共感する。それでも、その矛盾を孕んだ成功者になるしか生き残る道はないんだけど。


「ベーコンズ水木さん」の声の再現度に驚いた。ラジオから聞こえる水木さんの声がモデルのご本人にめちゃめちゃ似ていた。この声の再現度て、ハガキ職人がハガキを読まれることの価値がしっかり再現されている。
コンビ名も個人名も実名を使っていないのは、実名では迷惑をかけるくらい実話だからなのだろう。これが実話なんだと思うと辛くなる。


居酒屋のシーン、観ていて感情が複雑になりすぎる。

ラジオの仕事が人間関係の破綻のせいで無理になり、大阪に戻ってきたツチヤ。かつて曖昧な関係だった女の子を誘って飲みに行く。お笑いができないのなら、あわよくば恋人という温かさを求めたのだろう。でも、相手にはもう彼氏がいて、けん制するように同棲を考えているという話をされる。
そのとき、この映画で一番わかりやすくツチヤが笑った。どこで愛想笑いできるようになってるんだよ。仕事場では自分の思う面白い以外を否定して人間関係を壊していたのに、ショックから自分を守るためにこんなところで自分に嘘をついて愛想笑い。悲しすぎた。ただ、お笑いの場では嘘をつかず、ここでは嘘をつけるというのは、やっぱりお笑いへの誠実さでもあると思う。

社会性をかなぐり捨てて挑んだお笑いもできなくて、世間が言う「普通の幸せ」みたいなものもやっぱりつかめなくて、お酒も回って他の客に暴言を吐き始めるツチヤ。それを菅田将暉演じるピンクが力づくで止め、泣きじゃくるツチヤを慰める。
その慰めの言葉がすごい。「地獄におってくれ。お前は地獄で生きろ」。ピンクは、明確にやりたいことがあるのがうらやましいと言った上で、いざ飛び込んだら地獄だったとしても、そこで才能を使っていてほしいという気持ちをそう述べた。それが本人にとってはつらく、第三者だから言える無責任な発言と分かった上の言い方。それでも、そんな厳しい特別な世界にいるべき、特別な人間だろ、という気持ちが込められている。辛さは覆らないけど、救われもする、この言葉でしか表せないものだった。