三樹夫

笑いのカイブツの三樹夫のレビュー・感想・評価

笑いのカイブツ(2023年製作の映画)
2.5
数年前に『ゴッドタン』か『アメトーーク』でオードリー若林が、「うちのラジオにツチヤタカユキってはがき職人がいるんだけど、ネタが面白いので構成作家にならないかって連絡送ったら『人間関係不得意』とだけ返信が来た」と話していたのを覚えている。この映画の内容と違いがあるのは若林がエピソードトークとして改変したのか、それともツチヤタカユキが創作用に改変したのかな。一応、私はオードリーのラジオリスナーではない。

予告編で大阪弁と心情を台詞で全部泣き叫んでるのが、これはキツそうだなと思ったらその通りだった。大阪弁はそれぞれ箕面と堺出身だけあってか、菅田将暉はギリ許容範囲で松本穂香はあまり違和感なかった。それ以外は、特に主人公とおかんは役者が大阪弁を強調し過ぎ。そもそも脚本の段階で訛りすぎ。劇場のピン芸人の人「うんこさん」とか言ってたけど、どんだけ古い大阪弁のイメージなんだろ。そんなこと言う奴いないぞ。大阪が舞台の昭和とかに作られた人情劇みたいな世界観で古って思った。登場人物のほとんど30代か20代なのに訛り過ぎ。監督は大阪出身なのに30代か20代の大阪出身者の知り合いとかいないのか。映像作品の中だけに存在するステレオタイプな大阪人像でわざとらしすぎる。リアル大阪人はここまで訛ってない。脚本段階で訛らせすぎて、お〜い!久馬は岸和田出身なのに演じられてなかったし。この映画の大阪弁に関してはわざとらし過ぎる。

主人公はASDっぽいというか社会や人に上手くコミットが出来ない。それでどうするのかなと思ったら、劇場のピン芸人、菅田将暉、松本穂香、若林が良い人だったというので終わっている。単に周りの人が優しかったというだけ。
後、大喜利の答えとか面白くないわけじゃないけど結構オーソドックスというか、別にツチヤタカユキからしか出てこない独特の答えじゃないから、尖ってるっていっても代わりの人でいいってなると思う。

社会や人に上手くコミットが出来なくて苦しむ俺というナルシズム、若林に認められている俺というナルシズム、ここに岡山天音の自己陶酔コミュ障熱演のナルシズムが重なってきてナルシズムで胸焼けする。社会や人に上手くコミットが出来なくて苦しむ俺というナルシズムと若林に認められている俺というナルシズムがなければ、岡山天音の熱演もあぁ熱演してるなと思うので済んだが、色々重なって来たので岡山天音の熱演も自己陶酔感を感じてしまって拒否反応を覚えてしまった。主人公はずっと泣き叫んでるわけではないが、居酒屋のシーンなどここぞというキメの時は泣き叫んでくるのでこっちの許容量がオーバーする。
岡山天音のコミュ障演技は申し分ないと思うが、その他色々な要素の重なりで、完全に役に入り込んでいるドヤ感と泣き叫んでる演技をしてる時に気持ちよくなってるんだろうなという自己陶酔を感じてしまった。大阪弁を強調しすぎなのも、彼の熱演が鬱陶しく感じる。

この映画はわざとらし過ぎるの一言に尽きるかな。映画が始まって、トランクスのケツの所にうちわ刺して画面が砂嵐のテレビ蹴飛ばすのがもうわざとらしい。追い打ちをかけるようにわざとらしい大阪弁でずっとキツかった。青春ものとなったらとりあえず叫ぶのやめて欲しい。奇人=天才と安易にするのも違うと思う。
春日役の人は声が春日にそっくりだったし、雰囲気も似ていた。
三樹夫

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