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1941 モスクワ攻防戦80年目の真実のodyssのレビュー・感想・評価

3.0
【ロシアの庶民が描かれてはいる】

第二次世界大戦は非常に複雑な、地域ごとに様々な様相を見せる戦争でしたが、ヨーロッパにおいてもそれは例外ではありませんでした。

一般に、第二次世界大戦のヨーロッパでの発端は、1939年9月にナチ・ドイツがポーランドに侵攻し、英仏がドイツに宣戦布告をしたことであったとされています。

しかし、です。
なぜナチ・ドイツがポーランドに侵攻できたかというと、あらかじめ独ソ不可侵条約によって、ポーランドをドイツとソ連とにより二分割することを定めていたからなのです。
実際、ナチ・ドイツのポーランド侵攻後、あまり時間をへずにソ連もポーランドに侵攻し、ポーランドはドイツとソ連により占領されました。

日本では、第二次世界大戦は連合国(米・英・ソ連・中国など)と枢軸国(日・独・伊・フィンランド、その他)の戦いだと思われていますが、ポーランドからすればナチ・ドイツもソ連もどちらもオオカミ同然の国家だった。そして、それは一般に東欧全体に言えることなのです。つまり、独ソ不可侵条約とは、ポーランドや東欧を、ドイツとソ連がいかに山分けするかを定めた条約だったのです。

ところが、第二次世界大戦が始まり、ドイツがポーランドのみならずフランスをも打ち負かしてヨーロッパの覇権を握ってから、ドイツは独ソ不可侵条約を破棄してソ連に戦いをしかけます。1941年6月のこと。

この映画は、そうした状況の中で、ソ連の士官候補生(つまり将来は軍人になるけれど今は軍学校に学ぶ学生)が駆り出されて、ナチ・ドイツの侵攻をぎりぎりで防ごうと必死になる様子を描いています。

そういう観点で見るなら、この映画は感動的です。まだ年端もいかない若者が、ナチ・ドイツのソ連侵攻を防ぐべく必死になるという筋書きですから。

しかし、現代の歴史観からするなら、そもそも独ソ不可侵条約が「ヒトラーとスターリンの二人の悪魔による契約」だったのであって、たしかに条約破りは違法ではあるのですが、東欧人からすれば「どっちもどっち」だったのであり、またアメリカにも「独ソ戦はオオカミ同士の戦いだから、放っておけば」という意見もあったわけです。

しかし、当時のアメリカ大統領ルーズヴェルトは、なぜかソ連にシンパシーを抱いており、武器などの大規模な供与をソ連に対して行いました。この映画では描かれていませんが、スターリンのソ連がヒトラーのドイツに勝利できたのは、ロシアの冬将軍(かつてはナポレオンをも敗退させた)と並んで、アメリカのソ連に対する援助だったのです。

現代の普通のロシア人がこうした事情を、この映画を見て考えるとは思えない。私はロシア人を批判するためにそう言っているのではありません。素朴な祖国愛は誰にでもあるわけですし、独ソ不可侵条約は独裁者スターリンが主導したものであって、一般のソ連の国民が関わったわけではなかったからです。

しかし、後世に生きるわれわれとしては、庶民の素朴な愛国心と並んで、スターリンなどの政治的指導者の思惑をも描いてほしいと思うわけです。

そもそも、なぜこの独ソ攻防戦で士官候補生などの、軍人にまだなっていない若者が駆り出されなければならなかったのか、独ソ戦での各地の戦線の戦況はどうだったのか、ソ連の軍需産業の生産力はどうだったのか・・・色々描くべきことは多いはずなのです。

でも、この映画は、きわめて狭い範囲の描写にとどまっています。スターリンなどの首脳は登場しません。それでも、若いロシア人が恋愛感情やその他の普通の若者らしい感受性を秘めながらも、ナチ・ドイツの侵攻に立ち向かおうとする姿は、それなりに感動的ではある。

だから、ロシア人がこの映画を評価するのは分かるのですが、戦後75年をへた日本人としては、少し距離をおいて色々なことを考えるべきなのではないでしょうか。

つまり、ロシア人向けの映画であるという条件をふまえて、それを超えた視点からその限界を見定めていくべき映画、ということですね。ロシアにとっては、最近、ナチのユダヤ人虐殺と並んで、スターリンの粛清による大量虐殺がヨーロッパで歴史の災厄とされているので、「オレたちはナチ・ドイツと戦ったんだぞ」と言いたい気持ちは分かりますが、独ソ不可侵条約が歴史的事実である以上、ナチ・ドイツとスターリンのソ連は実は同じだった、という見方は消しようがないのです。

この映画を見るには、そうした歴史的な「教養」が必要なのですね。
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