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天空の下でのdm10foreverのレビュー・感想・評価

天空の下で(2021年製作の映画)
3.8
【船の上で】

とてもレビューに困るタイプの作品。
もしかしたら、これから公開となる「ベイビー・ブローカー」と合わせてみると、ちょっと感じるものがあるかもしれない・・・(まだそっちは観ていないから、あくまでも印象だけど・・・)。

赤ちゃんを巡る親のラストの「ある行為」が、決して許されることではないんだけど、心のどこかで許認している自分もいた。

(もしかしたら、これでよかったのかも・・・)

それはきっと舞台が日本じゃないからそう感じたのかもしれない。
産まれてきた子供に対して様々な理由で責任を負えないと感じた親が取る行動は?って考えたとき、何故か日本人が取る行動を想像するのがとても恐ろしい。
きっと外国人なら「子供を殺す」ではなく「誰かに育ててもらう」という方に向きそうな気がするんですね。
勿論勝手なイメージです(外国人だって信じられないくらいに残酷なことする人もいますから)。

でも、なんだろう?根底にある宗教観なのかな・・・。
神や仏を信心しろということではなく、もっと身近な部分での道徳的な教えというものが日本人の中から年々薄れていっている気がするんですね。
そういった観点で見たとき、外国人(特にキリスト教圏)にはDNAのように感覚的に染み付いている考え方っていうものが少なからずあるような気がするんです。

だから、本来であれば決して許されないような行為ですらも「天空の下」、つまり神様の目の前では「最悪の一手」だけは出来なかったんだと思うんですね。
そして迷える夫婦の目の前にいたのが「マルタ」でした。

僕はタイトルや設定から深読みしてしまうタチなんですが、もしかしたら今作は「ベタニアのマルタ」とも掛けたようなお話だったのかなって気もしました。

「マグダラのマリア」の姉として聖書にも登場する「ベタニアのマルタ」
マリアがひたすらイエスの傍らに座ってイエスの話に聞き入っている「観想的生活」と例えられるのに対し、快活に活動し家事や客人(イエス)の接待などを精力的にこなしたマルタは「活動的生活」と例えられたといいます。
どちらが正しい云々という話は長くなるので割愛しますが、一般的には未熟なマリアに対してマルタは成熟しているという構図で捉えられています。

そのマルタが「目的の地」に向かう途中で出会ってしまったのが、子連れの若い夫婦でした。

ここで出てくるのがまさに「宗教観」なのかな・・・と。
困っている若い夫婦に対して、自分でも出来ない事を何とかやってやろうと無理やり頑張るのではなく、自分に出来る事はしてあげようという一番堅実な「行動」を取るんですね。
この辺に「活動的なマルタ」を重ねたのではないか・・・と感じたわけです。

そして奇しくも「天空の下」のマルタがいたのは「船の上」。
一般的に「船」や「ブランコ」「ゆりかご」など、不安定に揺れ動くものは、時として「サスペンド(吊るす、ぶら下げる、浮かせる、浮遊する等)」のメタファーとしてよく用いられますが、まさにラストでマルタが置かれた状況こそある種の「サスペンスもの」のように、これからどうなってしまうんだろう・・・という不安がついてまわります。

しかし、気のせいでしょうか。
ラストのマルタの表情には悩みや絶望のような色ではなく、むしろ「安堵」や「安らぎ」すら感じられるような穏やかな色が見えました。

これはあの子にとっての救いだったのか?
あるいはマルタにとっての業(カルマ)だったのか?
それとも、関わった全ての人にとっての福音だったのか・・・。

この結末はまさに神のみぞ知るということなのかもしれません。
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