じゅ

女神の継承のじゅのネタバレレビュー・内容・結末

女神の継承(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

良い。良いんだけど、目に見えてる儀式ブッ壊し要因のクソ無能(というか明らかにあっち側に利用されるド素人)はいい加減準備段階で排除しようや。もういいよそういうの。『来る』のたか子姐さんみたくバヤン様が巻き返してくれるのかと思いきやそうでもないし。
長い長い年月を経て蓄積されてあまりにも強大になった怨念の集合体と1週間もかけて準備して戦うんなら、おりゃあ力と力が真正面からぶつかり合うスピリチュアル脳筋バトルが観てえんだ。
ただまあ、そんなところ以外はまじで良い。

ノイとマニが無知ながらミンを変な儀式に連れてくところで、車の窓に映ったミンの口元がにやっと笑ってるように見えたんだよな。見間違えかな。じゃなかったら芸が細かくてすげえなと思うし、いっぱい見落としがあっただろうなと少し勿体ない気持ちになる。

あと冒頭から画めっちゃ綺麗。偶像とかの造詣も最高。


山と森と川に囲まれたタイの村で代々続く巫女の家系の後継者としてやっている人に密着したドキュメンタリー形式(フィクションのはモキュメンタリーって言うんだっけ)の物語で、姉の娘に取り憑いた何かを祓うべくがんばってみました、と。

その姉ノイの嫁ぎ先であるヤサンティア家ってのがやばい家系で、大昔に多くの人間の首をはねて、彼らが手にかけた人たちによって子々孫々呪われていたそう。だからノイの息子(つまりミンの兄弟)マックも夫ウィローもウィローの父も祖父も不幸な死に方をしていたし、ミンは夢でヤサンティア家の者を象徴したようなふんどしにベストに御守りと長剣を持った首狩り大男を見ていたよう。


バヤン様が巻き返してくれるのかと思いきやそうでもないっていう展開がめちゃめちゃ重要だとだったんだろうな。この展開によって視聴者の(というか俺の)中での女神バヤン様の実在性が曖昧になった。

最初の方は依代たるニムさんの存在とかめちゃめちゃ立派な儀式の描写によって、バヤン様の存在は確固たるものだったし絶対的な存在だった。
それが、バヤン様の像を何者かに破壊させた上にそれまで冷静沈着で頼り甲斐があって大きな存在だったニムの慟哭を乗せることで、かの女神様の絶対的地位が揺らいだ。(一方で、ミンの身に起きていることは亡きマックの悪しきピー(精霊)が原因だとニムに勘違いさせて、マックの死に場所に赴かせてバヤン様の像から引き離したあの悪霊の策士っぷりたるやお見事。)
バヤン様の象徴たるニムがある日あっさりライタイ(原因不明の急死)したことと、惨劇の儀式の場でノイが「バヤンを感じる」とか言い出した割にミンにいとも容易く屠られたことで、バヤン様は曖昧で弱々しい存在に成り果てた。ニムの生前最期のインタビューで「私の中にバヤンがいるかわからない」と語ったことと併せて、バヤン様という絶対的存在にトドメを刺された。

完全に存在が否定されたかというと、そうでもない気はする。全能であるかんじが失われただけ。
ミンに取り憑いたヤサンティア家への呪いの集合体が少なくとも超常的存在の裏付けになってるし、ニムの家系が村人に長く頼られてることが女神の存在にある程度の説得力を持たせてる。
なんか卵の中身がドス黒くなってたり、警察が1ヶ月手がかりすら掴めなかったミンの行方をヤサンティア紡績工場の焼跡ですんなり見つけたり、まあ不思議なこともしてた。卵はもしかしたら常温放置で一月も置いといたらあんな腐り方するのかもしれんけど。
儀式のくだりでは、線香を逆刺しするまじないでサンティ先生のお弟子さん?達を全滅させた辺り、ミンの時と同じくバヤンの名を騙る邪悪な何かがノイに入ったかと思える。でもその一方で「偉大なるバヤンの前に平伏せ」みたいなこと言ってミンに憑いてる何かを祓おうともしてた。そういえば、継承の儀式みたいなことはしなくても、依代になってほしい意思表示か何か知らんけど一応バヤン様は憑依するみたいだった。であればバヤン様はノイの中で、サンティ先生とかお弟子さんたちに憑き殺したあれらとやり合ってた可能性はあるかもしれない。

まあなんにせよただ一つ残った確かなものは女神バヤン様への疑心。
ニムすら疑心を抱いてしまった。これがやばい。ニムがわからなくなってしまったら、迷える子羊の我々も尚更わからなくなってしまう。


女神を継承することって、目に見えない何かによる障りを治す能力云々というより、信仰を継承するっていう意味合いが強かったんだろうか。
バヤン様ってニムも誰も見たことないし、ミンに憑いたやばいやつみたいに具体的に人の世に干渉してくるわけでもなかった。あるとしても、作中で語られた限りでは巫女熱とやらくらいだった気がするし、それもまあつまり重〜い生理なのかなってかんじ。バヤンは女性にだけ憑くって話だったけど、そりゃまあ野郎は生理になりませんし。あと自家製コブラ酒を飲んで手足が動かなくなったおっちゃんがその後治ったのか知らない。
人間にわかる形で干渉してこないとなると、バヤン様って人々からの一方的な信仰によってしか最早存在し得ないんだよな。ニムが継承したのは、バヤン様の御力というより信仰する人たちの先頭に立つ役割だったのかもしれない。

どうやらしんどい時に信仰が生まれる(継承される?)みたいだった。
ニムは元々巫女になりたくなかったけど、手首を切るほど死にたかった時にバヤン様を継承した(信仰を得た)。ノイの場合は同様の苦痛の末にキリスト教に走ったというだけで、時を経てバヤン様を崇拝して村人に慕われていたニムと、今の今までバヤン様を信じちゃいなかったノイに実は大した違いはなかったのかもしれない。
ノイはニムに本当はバヤンはいないのではないかと不安を吐露していたけど、最後にはすんなりバヤン様を"感じる"ようになった。つまりバヤン様を信仰するようになった。儀式が失敗した惨状を目の当たりにして、娘ミンを助けられなかった絶望に駆られた場面だった。
というか、元々継承の儀式ってのが行われるのは、代々新しく巫女になる人が巫女熱で苦しんでる時のようだった。

女神バヤンの依代になる巫女の家系で代々継承してきてるとか仰々しいこと言うけど、その辺の人らが苦しいときに何かしら信仰し始めるのと何ら変わりないのかもしれない。


とにかく、バヤン様ってのがわからない。根拠なき信心の上に成り立つのみ。ざっくりそれが結論なんだと思う。


...とか思ってたら、なんと本作の原案を書いたナ・ホンジンって『哭声』の監督なのか。そりゃあなんというか、ものすっごい納得感あるわあ...。あっちもあっちでたしか山奥にいる日本人(國村隼)が何者なのか結局わかんないってかんじの話じゃなかったっけか。

こわぁ。


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【追記】
そういえば、生きたままミンに茹でられて食われた犬の名前が「ラッキー」とか、皮肉えぐすぎん?悪趣味ィ
じゅ

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