じゅ

アステロイド・シティのじゅのネタバレレビュー・内容・結末

アステロイド・シティ(2023年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

ライターにガソリン注ぐんじゃあないよw


ある舞台とその内幕のお話。

1955年、紀元前に隕石が落ちたクレーターが残る砂漠の町、アステロイド・シティ。核実験や天文関係の研究の場になっている。人口87人の町に各々の事情で集まった人々の頭上に、緑に光る飛行船が現れる。降り立ったエイリアンは隕石を持ち去っていった。
すぐさま町は大統領令で軍により隔離され、情報統制が敷かれた。しかし、"超秀才"な少年少女らは統制の目を掻い潜り、情報は新聞に載って拡散された。彼らは引き続きエイリアンとの交信を図り続けた。
1週間ほどの隔離の後、元帥が解除を宣言した。歓喜する皆の前に再び飛行船が現れ、隕石を元の場所に戻していった。元帥がその場で隔離解除の中止を言い渡すと、たちまち暴動に発展した。
朝、結局隔離が解除されて既に宿泊客が皆帰った後に目覚めた男は、来た時と同じように子供たちとダイナーで食事をし、日常に戻った町を後にした。
だいたいそんなかんじ。

途中で舞台裏の出来事のことも挟まれる。作家と主演との関係のこととか、役を降りようとしたけど作家の手紙をもらって結局戻った大女優のこととか、大道具部屋に住み着いて妻と離婚した演出家のこととか、話が書けなくなって演劇のスクールの生徒に眠る演技をしてもらって何か見出そうとした作家のこととか、役が解らなくなって本番中に抜け出して妻役と話して何かに納得する主演のこととか。


なんか、よくわかんないけどとにかく視覚的に好き。遠くに見える赤茶の岩山に青い空。鮮やかだけど目に優しいかんじの柔らかい色合い。
視覚がゆっくり動いてさっき映ってた役者が追ってくるかんじのカメラワークも楽しい。
あとマヤ・ホークさん超かわいい。そらあ、イーサン・ホークとユマ・サーマンでできてるんだもんな・・・。

色彩のこととかよく知らんけど、近くのオブジェクトを色薄めにして遠くのを濃いめにしてんのかな?印象と記憶で書いてるので実際どうだったか自信ない。最近どっかで水彩画の先生が風景画の描き方を話してるの聞いた覚えがあって、近くのは色を濃くして遠くのは薄くするって言ってた気がする。そうすることで遠近感が出るんだとか。俺の印象と記憶が真だったら、本作の描き方はその逆か。だとすれば平面的になるってことか。たしかにそう考えるとそうだったような事後の思い込みが湧いてくる。かも。

平面的なのが悪いかっていうと俺にはむしろ逆で、たぶんその平面なかんじも一要素なのかもしんないけど、この明確なつくりもの感が好きなんだよな。核実験で立ち昇る雲(あんなはっきり見えるくらいの距離にいて大丈夫なものなの?)とか、超秀才の5人の子供たちの発明品の数々とか。車の壊れ方とかw

高速道路の建造が延びる先の計算のエラーだかで無期限停止になってんの哀れすぎるて。6mの高さまで登って曲がった瞬間のとこで途切れてんの愛くるしい。
650両引っ張って8km/hで走る貨物列車めちゃめちゃいい。果物に野菜に車に核弾頭。多彩過ぎるし牽引する車両パワフルすぎるな。何より好きなのは台車の下で寝てる乗組員っぽいおっちゃん。ついでに曲めっちゃいい。
そんで、パトカーと撃ち合いながら何往復もしてるいかつペイント車は何だったん?(何だったん?)

あと、元帥がやっぱり隔離解除を延期しますって言った時の大騒ぎの中で、どさくさに紛れて月に己とガールフレンドの名前をハートマークで囲ったやつ投影するの良すぎるな。おうおうBrainiacでもちゃんと14歳じゃねえか。奨学金を彼女に使うってよ。あちい。


パンフレットに載ってたキャストとアンダーソンへの取材とプロダクションノートを読んだ。特に印象に残ったのは、
・役者を演じる役者というのを出演者が演じる本作を撮影して、アンダーソンが自身の役者愛を再確認した
・1950年代では工学の発展が著しくて宇宙の関心が強かった
・冷戦の政治的不安が強くて排外主義的だった
・アンダーソン「多分、死にまつわることを描いているんだ」
・'50年代辺りは宇宙人への関心が強くて、共産主義とかソ連とか核兵器、失業やらインフレやら様々な恐怖が反映された
みたいなとこ。へーってかんじ。

なんせアンダーソンはこの時代に魅了されたんだそう。ジェームズ・ディーンとかマーロン・ブランドとかスターがバシバシ出てきて演劇界が最盛期を迎えたとかなんとか。元々舞台というパフォーマンス・アートが好きというか、物語を語るやり方として自然なことだと思ってるみたいで、そんなんを踏まえると演者を演じる演者の物語っていう構造もまあ、なるほどってかんじ。

冷戦だの宇宙開発だの、教科書に載ってるような当時の状況はなんとなくわかるけど、だから市井の人たちは何を感じていたかってとこまでは話聞いてみないとわからんことだから知らんかった。興味深い。
共産主義とかソ連とか核兵器みたいないわば外的な脅威と、失業やらインフレやらみたいないわば内的な脅威とがあって、いつどんな風に実害を及ぼしてくるかわかんないっていう、そいつらの実在以外が不透明だった怖さがあったわけだ。そんなわけわかんないかんじが、宇宙人とかいう外から来た未知なる者に纏めて投影されたんだな。
作中の宇宙人もまじで意味わかんねえヤツだったもんな。レンズに向かってポーズしたように、少なくともカメラという物を知っていて、でもこちらのことをどれだけ知ってるか分からない。紀元前3000年のあの隕石と何の関係があるのか、彼らが落としたのか、だとすれば何のために落としたのか、うっかりだったのか、何も分からない。持ち去ってまた返した意図も分からない。なんだあいつ。1つ知ったことは、あいつ身長213cmあるらしい。


死にまつわること、っていうのも確かにずいぶん語ってたな。わざわざ「母親役の俳優がキャスティングされてたけど尺の都合か何かで全カットして死んだことにした」っていう設定にしてるんだもんな。
時間が癒してくれるなんてのは嘘で、せいぜい絆創膏になるくらいだ、みたいなこと言ってたな。ふとした拍子にぺろっと剥がれちゃうのかな。

ウッドロウ君はそれとなく母の死を察していた。父オーギーからの告知でそれが事実だったと確認したわけだけど、見るからに悲観してたわけでもなかったような印象。とはいえどうとも思ってなかったわけなくて、母が付けてくれたBRAINIACのワッペン(?)が笑えないって言ってた。
どう感じてるんだろう。死に目にも会えず知らぬ間に火葬されたってことだよな。俺から見た俺の祖母ってかんじだ。俺はもうとっくに14歳の少年じゃないけど、俺は俺の基準でしか想像できないから、ウッドロウにしたら「ただいなくなった」みたいに感じてると想像してる。いなくなって、遺影とか戒名とかが死の客観的な証拠として存在してるというか。主観的な感覚がないというか。死に立ち会った他の親族の気持ちはなんとなくわかるけど、自分自身がどう感じればいいかよくわかんない感覚が淋しい。むしろ正面から死の痛みを感じられない負い目を感じる。
ってのが俺の想像の及ぶ限りでの絆創膏になる程度のことかなあ。


You can't wake up if you don't fall asleepみたいなこと言ってたの2回場面転換して見せられたしエンドロールの曲でも歌詞になってたから絶対大事なんだろうけど俺にはようわからんす。


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【追記】

パンフレットのプロダクションノート読んだら、美術さんのアダム・ストックハウゼンが強化遠近法を上手いこと駆使してサッカー場ほどのセットを果てしない砂漠に見せた的なこと書いてたわ。
「平面的」ってのはまじで俺のセンス無え思い込みか。失礼しました!!
じゅ

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