ニューランド

ばちらぬんのニューランドのレビュー・感想・評価

ばちらぬん(2021年製作の映画)
4.0
☑️❴PFFアワード2021⋅Cプロ/7❵『ばちらぬん』(4.0) 及び『壁当て』(32)『みなみとあした』(3.0)▶️▶️

PFFが始まるとやはり、名前も覚えられないような·或いは大リーグ選手のような高名なだけの、海外名匠特集より、国内の商業映画色に染まる前の可能性に満ちた作家の方に関心が向いてしまう。今の世代は生まれた頃から多種多様の映像·音響文化に囲まれ、選択眼あればかなりのレベルを習得でき、それはこのプログラムの1·2本目の巧みさ·迷いなさに現れてる。3本目の『ばちらぬん』は、映画を目指しつつも、カットの嵌め方·切り方、かなりあるべきを外しているようだ。しかし、3本の中ではこれがやはり飛び抜けて、個性的·普遍的であり、その総合力は期間中に海外高評価を得て凱旋上映される『おばけ』をはっきる上回ってる。
映像の流れのポイント·タイミング·見せ方のかなりの部分を間違ってても、この作品には単なる懐旧ではない、自分を創ってる風土·文化のありかを貼り付いた執念·原形と結びつき、表面に引き揚げんとする、愛着·祈願がある。
字幕がきちんと付く与那国語の前面出し、旧い世代と·或いは若い世代間で、自然への祈願、文化儀式の継承とけじめ、立場の違う若い同士でもの感得したものへの殉じと互いの受渡しの記憶の限界と執着残る強烈さ、が語られる。有害物廃棄の現代文化との綱引き、未来に繋がる架空の自然内の祝祭空間の呼応·引継ぎ·ダイナミズム·シンメトリー。作者自ら女子高生に扮し走り回り·海中に飛込み、世代や立場や虚実を越えて、はたらきかけ·混ぜ合わせ、活性化へ身を投じる。
陽が差してるも·速度や濃さ異質の 水中に棲みかを移す人·馬の群れ·新生か遡りか、果実も亀ら動物もポストも自然も·考えられないレベルの対称·配置を成す多原色の交感·浸食、織物·島全景·水面·骸骨·俯瞰図らが包み·常に水の興る音が貫いてる根太さ(蛇皮線もサブで)、布地窪みや両手の掬った僅か真水の稀少さとその色合いの都度変容、舞踏·対峙·祭礼·伝承·幻視·労働の膨らみと欠けていく何か。
パラジャーノフより力強く、ドヴジェンコより重い表現力(A·レネ的問いかけもあり)は、繰り返すが、その貯め方·切り方·組合せ、画面のサイズと人の動かし方、どこかで的を得てない、もどかしさやズレも少し感じる。しかし、その何倍も瑞々しく·愛おしく、何かの拠り所を与えてくれる。作者が本職は可憐な女優さんだったのは意外だったが、リーフェンシュタールを超え、全編与那国の言語とこころで貫かれた、『揺れる大地』日本版、或いは『カムイ伝』当初構想版を創っていただきたい、と思った。真の艶やかさが、土中·水中から浮かび上がってくる。
---------------------------------------------------
これに比べると、『壁当て』や『みなみとあした』は、流通している映画言語や承認された呼吸というものがよく染み付いている。広角の図をメインにした力強い、縦に伸びる空間を連ねて、投げて拾う·追いかけて並ぶタイミングのカットのキレ、等をわざとこなれてない武骨さを残して、描いてく『壁当て』は、密かにストイックに夜間の練習場をやってた野球少年2人の間の、偶然の遭遇·意識·意地張り合いがくぐもって続くうちに響き結ばれるものを、立体的·運動感覚溢るる力感で描く。
---------------------------------------------------
『みなみと~』は、スコープサイズ画面を使いこなし、色も質も荒粒子感も浅くも区切りない拡がりから、スタイルが決まってくる。退いたトゥショットから寄りへの移行、フォロー複数も正面からより背めからの方の味わい、ドア外で気を効かせ(られ)て待つ橫姿のどんでん。男女2人ずつの親交と交わってのカップルのあり方での進行状況のズレ。室内·屋外、昼間·深夜、個人の内なる隠れた苦悶と話し合う穏やかさに至る化学反応、を柔軟·可能性の含み持たせて描いて行く。
こなれた語り口は味わい深いが、どこかで見た気もして、新鮮な力には欠ける気もする(個人的に鈍いので、時計をメモり続けてるのが、3·11前日の時間経過とは観てる間は気づかず、後で関連コメントで知ったので、評価は変わり得る可能性はある)。
ニューランド

ニューランド