猫エッグ

死刑にいたる病の猫エッグのネタバレレビュー・内容・結末

死刑にいたる病(2022年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

最後の怒涛の展開には「うえぇ・・・」と声が漏れた。
主人公も榛村にとって獲物の一人にすぎず、住む場所や時期さえ違えば殺害されていたかもしれないということ。榛村は刑務所に入っていても、過去に関わった人たちを手紙で縛り、操作し続けていたこと。それが主人公だけでないこと(最後の場面、女性のカバンの中身は衝撃・・・)。

他の方が言っているのをよく目にするが、やっぱり私も、榛村はハンニバル・レクターと似たところが多いなと思った。というか、この作品でオマージュしているのだろう。
レクター博士も榛村も秩序型連続殺人者と分類されていて、殺害対象や殺害方法の広さには差があるけれど、本質的な部分ではトラウマによる反復強迫で殺人を繰り返しているような印象。レクター博士なら「人肉を食べること」で、榛村なら「爪を剥がすこと」で自身のトラウマを克服しようとしている。主人公との面会の最後で、榛村が「小さい頃は(母親は)爪が綺麗だった」と言っていたので、何か爪に関するトラウマがあるのかもしれないが、詳しいところは説明されないので分からない。今思うと、レクター博士も榛村も、その殺人は快楽的でありながら強迫的だなと、本当に救いようがない。

というか、榛村が子どもたちと信頼を築いていく方法が、FBI捜査官の手法と同じじゃん!と思ってゾッとした。仲良くなりたい相手がいたら、毎日その人の視界に入り続け、それを何ヶ月も続けて、相手に「いつも見かけるけどあの人なんなんだろう?」と思わせ、その後に偶然を装って接触する、というもの。これを天性でできる人がいるんだろうなぁ。本当に恐ろしい。(FBIの手法は書籍で読んだのみなので、実際のところは知りません。)
それと、榛村の他人への執着はやっぱり異常だなぁ。それは、手紙を送るという行動だけでなく、気になった子の名前をフルネームでずっと覚えているところなどに表れている。知能の高さというよりは、他人への凄まじい執着から来る記憶力なのかな。

『死刑にいたる病』は、言わずもがなキルケゴールの『死にいたる病』からとっているのだと思うけど、榛村が殺人を続けながらも絶望したものは何かと私なりに考えると、自分はどこでも他者を操作することができるという「(榛村にとっては)面白みのない他者」と「そんな他者しかいない世界」になのかなと思った。法廷での「私はどこでも信用されて、何だか馬鹿馬鹿しくなった」という証言は、そのことを示しているんだろうなと。

最後になるが、人は誰しも特別になりたい願望を抱いていて、仮にそれが「連続殺人者に特別に思われる」というものであっても、「自分に何もないよりは」とそれを望んでしまうのかもしれない。自尊心が低ければよけいに。
でも、大して特別なことができない平凡こそ、大事に持ち合わせていたいものだなと思った。

とりあえず、明日、催涙スプレー買おうと思います。

追記:
榛村が賢い高校生ばかり狙っていたのは、これもまたトラウマを賦活するような対象があえて目指されていたのかも・・・? 榛村自身もその時期に抑圧されていて賢く振る舞っていたとか、母親との関係で何かがあったとか。
榛村は、すぐに自分を信用する他者に呆れて、絶望しているところがあると思うけれど、それは、榛村が操作しやすい高校生を狙うからだし、やっぱり榛村は自分で絶望を深めていって破滅しているに過ぎないのだろう。
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