春とヒコーキ土岡哲朗

死刑にいたる病の春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

死刑にいたる病(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

怖がって闇を見ていると、闇を理解しはじめてしまう。

人の闇と向き合っているうちに、自分に闇を感じてしまう。
主人公は、獄中の殺人鬼に頼まれた「一件だけ紛れている冤罪」の証明のため、独自で調査する。主人公も観客も、「いったいどういう思考でこんなことをしたんだ」と疑問を抱きながら殺人鬼について知っていくわけだが、そうしていくと、徐々に殺人鬼を理解し始めてしまう。実際は彼の衝動は理解できていないのだが、人と人は長く向き合うと「分かって」くる。
「なんて残虐で不気味なヤツだ。なんでそんなことを?」という疑問は、既に興味である。興味を持って相手を見続けると、自分の中に理解が生まれてしまう。それが、主人公が人の爪にやたら目がいってしまう描写。見ているうちに、殺人鬼をマネてしまう。主人公が、町でぶつかった相手を背後から殴り、殺しかけるシーンは、暴力という選択肢があることを知ってしまったら誰だってああなり得るということを感じた。見ているこちらも、自分の中にもこいつを分かってしまうような闇があったんだ、と恐ろしくなる。

この映画はスター・ウォーズの5~8である。
自分の本当の父親は、阿部サダヲなんじゃないかと思い始めた主人公。最初は「おれにもあいつの血が流れてるのか……」と恐れているような感じ。でも、悩んだ挙句、阿部サダヲから「そうだよ。父親だよ」と言われたときは、むしろ心の拠り所を見つけたように暖かい気持ちになっている様子。
しかし、最後に「あなたは父親じゃないですね」と真相を見抜く。それに対して阿部サダヲは「凡人の子供でガッカリした?自分が殺人犯の子供だと思ったら力が湧いたでしょ?」と煽る。それも図星なところはある。自分の出自が、流れている遺伝子が特別なものではないと突き付けられた主人公。素晴らしく、スター・ウォーズの5~8の流れだった。

震撼させたら勝ちなのか。
阿部サダヲは、衝動を抑えずに社会を震撼させることができる自分は他の人間よりも強いと思っている節がある。実際の殺人犯たちの裁判での証言を聞いても、そういうやつは多いと思う。みんなおれのことを怖がって、おれの方が自由だしすごいだろ、と。それが「凡人の子供でガッカリした?」のセリフに表れている。それに対して、どう反論したらいいのだろう。もちろん、「そんなことないわバカモノが。こっちもこっちが正しいと思う生き方をして、人とのつながりで幸せを感じて、その方が価値があるわ」とは言える。でも、それじゃ殺人鬼を否定できてはいない。その、市民として抱える悔しさをまざまざ感じさせられた。