くまちゃん

ある男のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

ある男(2022年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

冒頭映し出されるとある男性の後ろ姿を描いた一枚の絵。
これはルネ・マグリットがパトロンであるエドワード・ジェームズのために制作したものであり、鏡面に写る自身が後ろ姿という構図であることからエドワードの疎外感を表現していると言われている。題は「複製禁止」

まさに今作のテーマを象徴したモチーフであり、度々登場する目元を描かない肖像画や似顔絵はルネ・マグリットから着想得たのではないだろうか。

在日三世の城戸、子供を亡くし、離婚した里枝、里枝の再婚相手X、老舗旅館の次男というプレッシャーに苛まれる大祐、消息を絶った大祐を憂う美涼。
それぞれが何かしらの孤独と疎外感を持っている。

荒唐無稽ではなく、自身ではコントロールできない生活環境、外的要因から逃れるのは難しい。
自分の人生は自分のものとはよく言うが、許容できない事象によって自己肯定感が著しく低下してしまった者にとってはなんの慰めにも励みにもならない。
フィクションでありながらこういう人たちがいるのかもしれないと想像してしまうリアリティがある。
過去を捨てたいのは決して犯罪者とは限らないのだ。

安藤サクラ、窪田正孝、妻夫木聡、それぞれのキャラクターが各々の著しい孤独を内包し言語化しないアイロニーによって作品全体にとてつもない深みを与えている。

里枝とXに婚姻関係はなかった。Xは「谷口大祐」ではなかったためだ。
つまり彼らは図らずしも家族から擬似家族に変化する。
里枝の耐え難く、堪えきれず、容量を超えたように溢れる涙。
擬似家族もリアルな涙も「万引き家族」を彷彿とさせるのは安藤サクラだからかもしれない。
デフォルメされていない涙。まるでドキュメントのような苦しさがスクリーンから伝わってくる。

谷口大祐という他人の過去を手に入れてまで得た一時の幸福。
彼は何者なのか?
幼少時より常に彼を苦しめていたのは死刑囚の息子というレッテル。
何より苦慮し絶望し辛酸を嘗める思いだったのは自身の顔が嫌悪する死刑囚の父と瓜二つだったことだ。
彼は苦しみ続ける。皮を全て剥ぎ取りたいほどに。
苦しみ続ける実直な青年と、殺人者となった狂気的な父、それを演じる窪田正孝。ここに役者としての矜持が垣間見える。

社会人としての表層的な愛嬌とコミュニケーション能力を持ちながら内なる疎外感を持つ城戸彰良。
彼は祖父が在日朝鮮人であったことから苦しみ続ける。
言葉は少なく、何かを抱えている雰囲気が城戸の周辺を漂っている。妻夫木聡はそれを醸し出すのが絶妙にうまく、非常に技巧的である。
むしろ近年、闇深い役が多くなってきている気がする。
似たような人物を演じた「愚行録」は監督も今作同様石川慶だった。

仲野太賀はセリフもなく、出番も少ないほぼほぼカメオのような出演にも関わらず強い存在感がある。それは探し求めていた本物の谷口大祐がようやく登場したからでも、写真が幾度が出てきていたからでもなく、表現者としての技術が一個人の存在を膨張させているのだ。

カフェでの再開。仲野太賀と清野菜名。
2人のこの場面はセリフは少ない。
いや、無くてもいいくらいだ。
言葉を発せずとも気持ちが痛いほど理解できる。
サイレント映画のような情緒と言語外での情報が詰め込まれ、映像として映画として非常に美しい。

脇を固めるのはきたろう、でんでん、柄本明、日本を代表する老人たち。それだけで観れる。
特に柄本明の胡散臭さには毎回脱帽する。

城戸は人探しという依頼にとらわれ、家庭に少しずつ不和が生じる。
白石和彌の「凶悪」のように。
城戸はこの依頼に対して安心感を得ていた。
それは消したい過去、在日である自身を未だ見ぬ谷口大祐に重ねていたからなのかも知れない。

調査が終了し家族と過ごす城戸は妻の不倫を知ってしまう。
ラスト、バーで初対面の相手に身の上話をする城戸。しかしその内容は谷口大祐のものであり、城戸のものではない。
再び登場したルネ・マグリットの「複製禁止」
その手前には絵を眺める城戸。絵画と合わせると男性の後ろ姿が三つ並んだ構図。これは在日三世である城戸、そしてその疎外感を示唆していると思われる。
マグリットの絵画には固定観念とその崩壊によって与えられる驚きなどの魅力がある。
つまりそれは戸籍交換ブローカー小見浦憲男が唱えた言葉に表れ彼自身が小見浦であるというのがすでに思い込みであり、自分の戸籍も交換したものだとする供述に繋がる。
城戸が自分のことのように話した内容は谷口のものだ。では城戸は戸籍を交換したのだろうか?
小見浦はまだ収監されている。
つまり城戸自身が戸籍交換ブローカーとなり、小見浦同様最初に自分の戸籍を交換したと見るのが妥当ではないだろうか。弁護士である城戸ならその可能性は捨てきれない。
いずれにせよ、余韻を残すラスト、心情や状況を丁寧に表す「間」の数々。
映画とはこういうものだと改めて突きつけられたような上質な作品であることは間違いない。
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