踝踵

ある男の踝踵のネタバレレビュー・内容・結末

ある男(2022年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

無駄の無いカット、全てに意味が込められた演技、めちゃくちゃいい映画。
(一部「アレは何だったんだ?」となるナゾあり)。こんなに良い邦画久しぶり。

全体的に静かな映画だけれど、ひとつひとつの謎が不穏な胸騒ぎを誘い、目を離せなかった。まったりしかけた所で薪を焚べるように新事実が発覚し、さらに物語に拍車をかけており、非常に脚本のテンポが良い。謎とヒントの見せ方が秀逸で、観客はつい常にヒントを探ろうと集中しまい、ミステリーとして大成功していると感じた。

(簡単なあらすじ)
安藤サクラ演じる里枝が、宮城県の寂れた文房具屋で働くところから物語が始まる。激しく雨が降る中、窪塚正孝演じる一人の男がスケッチブックを買いに入店した。県外から突然来た、谷口大祐と名乗るこの男との出会いをきっかけに里枝と大祐は結ばれる。大祐、里枝、再婚前の理恵の子供の悠人、そして再婚後の子供の花の四人は幸せ暮らしていた。ところが大祐は不慮の事故で亡くなってしまう。葬式を挙げると大祐の兄と名乗る男が訪れる。線香を上げさせてほしいと言う兄を仏壇に案内するが、遺影を見た彼はこう言うのである
「これ大祐じゃないよ」

前情報を仕入れなかった私は、もうこの時点で興味関心を掴まれ、最後まで離されなかった。
この事件をきっかけに里枝は妻夫木聡演じる弁護士の城戸を呼び、谷口大祐改め「X」の身元の判明を依頼した。
映画の中盤まではシンプルにXの「戸籍上」のアイデンティティを探る物語になっているが、死刑囚の絵画展でXそっくりの死刑囚を見つけてから「生い立ち」としてのアイデンティティに焦点が当てられる。そして違法に戸籍を売る詐欺師の小見浦のヒアリングで「自分のアイデンティティを消したい心理」について知る。
そして日系朝鮮人3世の城戸が抱える「消えそうで烙印のように残るアイデンティティ」や、「僕は誰になれば良いの?」とアイデンティティに苦しむ悠人。映画全体を通してアイデンティティを多角的に描いており、少し説明的ではあっても丁寧に情報を出してくれる。

最終的に谷口は死刑囚の息子の原誠であると判明し、死刑囚の父のアイデンティティが自分の中にある事を苦しんで戸籍を変えた事が分かる。そんな人生を歩んだ誠に対しての里枝と悠人の解釈が大変素晴らしく、泣いてしまう。
「結局真実は知らなくてもよかったのでは無いか、と思う」と言う里枝。
「自分の父にしてほしかった事を僕にしてくれたからお父さん(誠)は僕に優しかったのだと思う」と言う悠人。
どれも死刑囚の息子というアイデンティティを一切気にせず谷口大祐を愛した家族の暖かい言葉で最高だった。人間関係が美しすぎる。
冒頭で里枝が誠の事を「この絵のような人」と、誠が描いた絵を見ながら言うシーンを思い出し、また泣く。
ふと誠が家族のために植えたと言われる木々に対して城戸が目を向けた時、木々の間でしっかりと大地に足を踏みしめて立つ誠の姿を想像するシーンがめちゃくちゃカッコいい。確かにこの地で生きた誠の姿が良い。

しかし物語はここで終わらない。城戸の家庭のシーンに戻る。豊かな暮らし、かわいい息子、美しい妻、仕事が落ち着いた城戸は元の柔らかな表情に戻り、優しいお父さんをしていた。ところが家族で水族館に行った時、妻のケータイでゲームがやりたいという息子が操作を誤る。ちょうど妻はお手洗いに行っており、城戸が代わりに操作することに。すると浮気相手と思われる男からの通知を目にしてしまう。笑顔で誤魔化すも心中穏やかではなく、周りの音も遠く感じてしまう。

そして場面はバーに変わる。たまたま隣になった男性と談笑する城戸の姿があるが、自己紹介はどう考えても「温泉宿の息子であるオリジナルの谷口大祐」の情報である。縁もたけなわ、2人はバーを出ようとした時に城戸は、1人の男が鏡の向こうで背を向ける男の絵画を見つめる。そしてまるで絵画の世界に溶け込むように、城戸の後ろ姿が絵画と重なる。すると男性は
「ところでお名前なんですか?」と問う。
城戸は答えようと口を開けるが…
そこで映画が終わる。痺れる!

結局、城戸は戸籍を変えてある男になったのか?私の解釈だが、城戸は気を紛らわせるために偽の情報を口にしていたが、絵画を見た事きっかけに城戸も「ある男」になる決心がついたのではと思う。解釈は観客に委ねられる。しがらみから抜けた誠の捜査に夢中だった城戸は、家庭というしがらみから抜けたかったのではないだろうか?少なくともヒョウ柄のパーカーを着て立ち漕ぎでチャリを走る誠の後ろ姿に多少なりとも「憧れ」を私は感じてしまった。

一点悪い意味でナゾだったのが小見浦の「戸籍を売る私がいつ小見浦だと思っていたんだ?」と城戸に投げかけるシーン。結局あの男が何者だったかはあまり関係なく真実に辿り着すので、どんでん返しでも何でもなく、ちょっと無駄に感じた。柄本明の怪演もあり、場面としては大変盛り上がったが、もったいないと思った。ここだけ減点。

ナゾはあっても演者の皆様が最高だった。この映画に出たいとオファーに答えた事を想像して、またさらに演者皆様が最高にかっこよく見える。とにかく、とにかく、妻夫木がカッコいい。真相を追求する正義の弁護士としてめちゃくちゃハマっていた。窪塚もかっこいいし色気がありすぎるのか、あまり不審者感は無かった、でも放っておけない魅力が詰まっていた。安藤サクラさんは繊細ながらも喜怒哀楽が伝わり、また自然な色気がありすごく良かった。小藪もやや目立っていたが良いアクセントになっていたと思う。
また映像のカットが完璧に「カッコよさ」と「視覚伝達」を両立しており、画面だけを見ても見応えがたっぷりだった。
もっとこういう本質的な邦画が増えてほしいと願う。 
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