うえびん

ある男のうえびんのレビュー・感想・評価

ある男(2022年製作の映画)
4.0
“本当の自分”とは何か

2022年 石川慶監督作品

原作の著者・平野啓一郎さんは「分人主義」という概念を提唱しています。

「分人主義」公式サイトより

▶「分人dividual」とは、「個人individual」に代わる新しい人間のモデルとして提唱された概念です。
 「個人」は、分割することの出来ない一人の人間であり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものと考えられています。
 これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。◀

本作では、三人の“ある男”のさまざまな仮面の使い分けが描かれます。
〇〇(窪田正孝):絵描き、ボクサー、林業家…
〇〇(中野太賀):老舗旅館の次男坊、放浪癖…
〇〇(妻夫木聡):弁護士、在日三世、夫・父…
平野氏が提唱する「分人主義」が複雑に巧みに物語に組み込まれています。

原作は、妻が購読していたので僕も読み始めたのですが、三分の一くらいで断念してしまいました。文体に馴染みにくかったからだと思います。映画は最後まで興味深く観ることができました。ストーリーにも映像や俳優陣の演技にも惹き込まれました。

ただ、作中のセリフには微かな違和感が残りました。
「今の自分を捨てて、新しい自分へ」
「自分の人生は、自分だけのもの」

「分人」であれ「個人」であれ、“自分”、“ジブン”と考えている限りは、自我への執着のループからは抜けられないのではないか。そこから抜け出る方法は、すでに仏教に示されているではないかと思ったからです。

『「悟り」は開けない』(南直哉)

▶「自分である」という根拠は、自分の中にはありません。他人にあります。身体という物質としての自分も、命名に始まる人格としての自分も、「親」という他者から与えられて、ついに「自分」になるのです。その与えられた「自分」を受け容れられるかどうかの問題でしょう。だから、生きようという意志は、他者との関係の在り様にかかっているわけです。(中略)

自分自身が自己決定で生まれてきたわけではないのですから、内部に自己の存在根拠を持ちえません。それどころか、他者からはほとんど強制されて自分にならなければ生きられない構造になっていると言えるのです。これで「生きるって素晴らしい」などと手放しで言えるはずもない。また、言える人には、少なくとも仏教は必要がない。

私たちは、存在すること自体に最初から困難を抱えている――、仏教の話はここから始まります。(中略)

生きていれば、様々な問題が生じる。そういう問題は、常にどこでも、たった一人だけの問題ではありません。およそこの世の「人間」の問題は、必ず自分以外の誰かにも関わるものなのです。そこに葛藤も矛盾もある。それをハッキリ認めた上で、「お互いさま」の話にするのです。

誰が良い悪いの話を乗り越えて、問題そのものをどう扱うかに、お互い知恵を絞る。その「お互いさま」の場を見つけて実践するわけです。

ならば、自分が得をしたいと思わない、褒められたいと思わない、友達を作りたいと思わない、自分の思惑をすべて外して、取り組まなければなりません。

それは愉快なだけで済む話ではない。苦難も混乱も覚悟しなければならない。だから、勇気が必要です。

しかし、勇気と共に試行錯誤を繰り返しながら、その実践を続けること以外に、おそらく「相互理解」も「生きる意味」もリアルに現れないでしょう。その実践のみが、(中略)「自己」を切り開き、損得利害を超えた人間関係を生み出すでしょう。おそらくそこに、一方的に与えられた、切ない「自己」を受け容れる場所が開かれるはずです。◀

一方的に与えられた、切ない「自己」を受け容れるためにもがき苦しむ“ある男”たちの生き様を通じて、“本当の自分”とは何かという実存的な問いに誘い込まれる作品でした。
うえびん

うえびん