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ある男のIamshortneckのネタバレレビュー・内容・結末

ある男(2022年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

"自分は何者か"と考える時に、血のつながりにそれを見つけるのは、実は楽。だからこそ人は自分に流れる血液に目を向け、縛られてそこに自分を見出し続けてしまう。親と子は血縁関係の繋がりのみで他人。自分を得るためには、血の繋がりに戻るのではなくて、必死に自分を求めて色々なものと出会って後付けで自分を創り続けないといけない。原は途中でそれに疲れたのだと思う。どうしたって自分に流れる血から逃れることができない。だからもういっそ戸籍を変えて、自分を象る名前を捨てて、血のつながりから目を背け続けた。そして新たに自分を創り始めた。城戸もまた、在日であることに、自分に流れる血液から目を背けられなかった。自分をどんなに創り続けても、貼られるレッテルから逃れられない。それは自分でなく他人でさえもその人に流れる血液に目を向けるから。"自分は何者か"一体何を根拠に私が私であると言えるのか。その人が生きて行ってきた事実を、その人たらしめるものであると言いたいのに、人はそう簡単に自分の行いだけに胸を張ることはできない。ラスト、城戸が自分の人生から逃れるように、谷口と名乗ろうとするところで終わる。彼もまた、自分を必死に創り続けたのに、途中で疲れてしまった。そうなる理由の一つに原も城戸も、周囲の自分に対する偏見の目があった。自分が必死に自分を創っても、他人は人を認識する時、その人に流れる血液や細胞を知った途端、以降その人を細胞レベルで認識し始め、その見方をなかなか曲げないし曲げる気も起こさない。物語後半での里枝のセリフ「本当のことを知る必要は、なかったのかもしれないって思えてきました。だってこの町で彼と出会って、好きになって、一緒になって、花が生まれて、それはハッキリとした事実ですから。」その人が行ってきた事実に目を向けて、愛してくれる人、原は里枝に出会えた。里枝は原のことを受け入れて、彼の血縁など、全てを知った上でも関係なく愛した。そのような人物に出会えたことで、原は報われたと思う。城戸はラストで自分の名を谷口大祐と名乗ろうとして終わるが、城戸も、里枝のように、受け入れて愛してくれる人物に出会えたと思われたが、妻の不倫が発覚する。彼は自分の人生を再び創ることに魅せられて行く。結局、どんなふうに生きていったら、自他共に乖離せず、確固とした自分を認識できるのだろう。
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