るるびっち

ウェディング・ハイのるるびっちのレビュー・感想・評価

ウェディング・ハイ(2022年製作の映画)
1.1
実際にはウェディング・ローである。
詰まらな過ぎて、見終わるのに何日も掛かった。
結婚式の招待客が、いちいち回想で振り返る。
「私の人生は・・・」
その度に、面倒臭くて動画を切ってしまう。
人生語りだす奴を見るのはストレスが掛かる。
面接官の気分だ。
これが何人も続くのでウンザリする。
話が碌に進まない内に、知らん奴に人生語られてもシンドイ。
毎回人物紹介するのは多分ギャグだろうが、面白みより面倒臭い。
主役の新郎新婦を差し置いて、主役になろうとする招待客達。
くすんだ人生で、他人の結婚式で主役になろうとする彼等は滑稽だ。
短編小説なら面白いだろうが、映画でやられると小粒なアイデアなのでシンドイ。

敏腕ウェディング・プランナーが八面六臂の活躍でトラブルを収拾するのかと思ったら、スケジュール押しで時短するだけだ。
しかもほぼ余興客が時短したお陰。プランナーの腕ではなく、客の成果だろう。
それで裏ではこんなことありましたと、ガイ・リッチーの真似したクドカンの真似をするが、ダラダラ長いし結局下ネタなのでガッカリする。

脚本のバカリズムが素人なのだが、日本の脚本家自体が素人臭い。
というか、ガラパゴス化している。
そもそも、日本の脚本家は説明と回想が多い。
それを見慣れているから、バカリズムも回想OKだと錯覚してバカみたいに沢山回想を入れるのだろう。バカでリズム感もない本作こそ、ガラパゴスである。改名した方が良い。
日本の他のクリエイターも悪影響を受けている。
漫画も回想と説明が多い。
『ONE PIECE FILM RED』は、回想が何回もあった。
『鬼滅の刃』は戦闘中、ずーっと心の声が続く。説明しないと戦えない病なのだ。
日本には話芸という文化があるので、上手いナレーションは話芸と錯覚されるのも回想・説明が減らない一因だろう。もう一つの要因は、客も慣れてしまいクリエイターを甘やかすことだ。

戦隊物で「OOレンジャー!」と見栄を切って名乗っている隙に何故、敵は攻撃しないのか? 海外の観客は不自然に思うらしい。
バットマンもスパイダーマンも名乗ったりしない。
見栄を切って名乗るのは、歌舞伎以来の日本文化だ。
「知らざぁ言って聞かせやしょう(中略)弁天小僧菊之助たぁ俺のことだぁ!」という奴だ。
日本の観客は慣れてしまって疑問に思わない。ガラパゴス洗脳されているのだ。
回想・説明過多・名乗りなど、日本脚本はガラパゴス化している。
日本アニメが海外に影響を与え、やがては海外の観客も影響を受けるかも知れない。
しかし、その前にガラパゴスだと意識した方が良いと思う。
回想・説明は自転車の補助輪みたいなものだ。
人物の深堀りをするのに、回想・説明を多様するのは日本のクリエイターが特殊なのではなく、下手な証拠だと思う。
補助輪が無いと描けないのだから。
日本の脚本技術は幼稚園並なのだ。
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