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Leave No Traces(英題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

Leave No Traces(英題)(2021年製作の映画)
3.5
[ポーランド、歴史に痕跡を残すこと] 70点

2021年ヴェネツィア映画祭コンペ部門出品作品。1983年、2年に及ぶ戒厳令が解除された直後のワルシャワで、学生が市民警察に撲殺されたグジェゴシュ・プルゼミク(Grzegorz Przemyk)事件の映画化作品。1983年5月12日、高校を卒業したグジェゴシュは友人たちと広場に出ていた。その日はピウスツキの命日であり、当局もピリピリしていたらしい。加えて、グジェゴシュはポーランドの労組"連帯"の中心人物の一人だった詩人のバルバラ・サドウスカの一人息子であり、ずっとマークされていたのだろう。突然当局に連行されたグジェゴシュは,
事務所で殴られ続け、そのまま搬送された病院で亡くなってしまった。主人公はグジェゴシュと共に連行されたユレク・ポピール(Jurek Popiel)という青年である。彼は実在の人物ではなく、実際にはツェザリ・フィロゾフ(Cezary Filozof)というグジェゴシュの友人が暴行を目撃し、続く裁判での証言まで担当している。創作のために、ある程度の自由を獲得するための改変だろう。

"痕跡を残すな"とは、暴行がバレないように腹を蹴り続けた市民警察、本人たちに知られぬよう盗聴/監視を行う軍、起こった事実を全て握りつぶそうとする国家の姿勢を表している。グジェゴシュは冒頭20分で亡くなってしまい、遺された母バルバラ、ユレク、彼らの味方をする検事や個人弁護士たちの長く苦しい戦いは、痕跡を残さぬよう無力化を図る巨大な権力との戦いとして記録されていく。裁判はユレクをただの酔っ払いとして証言を取り上げないようにしたり、グジェゴシュを搬送した救急隊員を犯人扱いしたり(救急車で人形を殴らせる実証実験シーンが頗る怖い)、ユレクの自宅をひっくり返してバルバラと不倫していた証拠発見し、それを家庭崩壊のきっかけに使ったり、えげつない方法で事実を捻じ曲げ、消し去っていく。史実ではフィロゾフは徴兵され、訓練を名目に監視下に置かれていたらしいが、本作品のユレクは基本的に自宅にいる。これは、共産党員で党上層部の言いなりになる父親と対決させ、家父長制の病や、父親のいないグジェゴシュ一家との対比をしたかったのだろうと推測できる(或いは説明ゼリフが増えるのを回避したかったのか)。

本作品を前衛的/舞台的にするとラドゥ・ジュデ『Uppercase Print』になるだろう。虚構と現実/本音と建前といった対立、監視盗聴社会、国家が家庭に介入して親から子供に圧力を加えさせる、実行者が革命後も裁かれずに野放しになっている、など様々な側面で共通している。表現手法以外で決定的に異なる点があるとすれば、本作品がユレクとそこまで視点を共有しないことだろう。リアルタイムサスペンスのように、目まぐるしく視点人物を入れ替え、ユレクの、バルバラの、軍のお偉方の、救急隊員二人の視点から事態を多角的にリアルタイムに記録していくように構成されている。あまりにも『Uppercase Print』と似すぎていたせいで、息苦しいだけで比較的凡庸な作りの本作品は見劣りしてしまうが、国家権力のねちっこさを160分の間浴びるという点で優れているように思える。

グジェゴシュの葬儀に登場し、バルバラにも言及される"連帯"と関係のあった司祭イエジ・ポピエウシュコも事件の1年後に秘密警察によって殺害されている。また、バルバラも同年に肺がんで亡くなっている。
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