ゆず

パワー・オブ・ザ・ドッグのゆずのネタバレレビュー・内容・結末

パワー・オブ・ザ・ドッグ(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

フィルはどうやら同性愛者のようであり、ピーターが男らしくないことを最初は詰っていたが、やがてその中性的な魅力に惹かれてしまった、というところまでしか自力では分からなかった。
でもいろんな描写で示唆されているようだし、これくらいで「難解」とか言ってられないのかもしれない。

ホモソーシャル(同性同士の、性や恋愛を伴わない絆や繋がり)の中心的存在として登場し、"有害な男性性"を振りまくフィル。男性のホモソーシャルは、しばしばミソジニー(女性蔑視)とホモフォビア(同性愛嫌悪)を通して男同士の絆を強めようとするものだという。
ならば、フィルは周囲のホモフォビアから、自らのホモセクシュアリティー(同性愛や、それへの性的指向)を隠しながら生きてきたマイノリティーであるとも言える。

社会的強者であった男が実は弱者であったと言われても、私自身もなかなか腑に落ちない。なぜなら後半以降も、フィルは変わらず"男らしい男"を演じ続けるからだ。
けれど、その"有害な男性性"の描写は、前半と後半では意味が少し異なるように思う。

たとえばフィルは、弟の妻になったローズへ嫌がらせをするが、前半ではそれはホモソーシャルが内包するミソジニーだと見ることができる。
個人的には、前半はローズがフィルに犯されてしまうのではないのかと心配だった。ホモソーシャルでは「女はヤルためのもの」ぐらいにしか考えられていない。あとカンバーバッチの演技力が醸し出す雰囲気のせいでもある。

しかしフィルが同性愛者だとわかった後半以降は、フィルはピーターを独占したくてローズへ嫌がらせするのかも、という見方ができるようになる。
女性蔑視からくる嫌悪とは別に、恋敵としての嫌悪がそこにあったのかもしれない。もしかしたら弟のこともローズに取られたと感じていたのかもしれない。

"有害な男性性"の権化として登場したフィルだが、人間はそう単純ではない、ということがわかる。周囲から押し付けられるもの、自分の中から湧き上がってくるもの、それらに押し潰されて矛盾だらけだ。
でもこの映画はそれを丁寧に説明してはくれない。身を任せていると、最後の最後でついていけなくなり、「どういうことなの?」「なんの映画だったの?」となってしまった。



参考ネット文献:
ジェーン・カンピオンの堂々とした到達点 『パワー・オブ・ザ・ドッグ』にみる“革命の力” / Real Sound 映画部 https://realsound.jp/movie/2021/12/post-915273.html

ホモソーシャルってどういう意味? – "男性同士の絆"と"男性の生きづらさ"について|漫画でわかるLGBTQ+ / パレットーク https://note.com/palette_lgbtq/n/nef751beeeb21
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